翌日、いつもの朝食の時間になってもナミとロビンがなかなかキッチンに姿を見せなかった。
腹減ったーと騒ぐルフィをウソップとチョッパーで押さえさせて、サンジはとりあえず女部屋へと向かう。
軽く扉を叩いただけで、中から女二人の返答があり、それに食事の用意が整ったことを知らせて、もう一人姿をみせてない男の元へ向かった。

「・・・ちっ、やっぱりまだ寝てやがる。」

男部屋を覗けば、今朝方見たまま、ハンモックの中で眠る男の姿が見える。
昨夜も寝る前にいつもどおりの鍛錬をこなしていた姿を見ているから、体調が悪いということもないはずだ。
相変わらず寝汚いヤツだとたたき起こすつもりで近寄って顔を覗き込んだ。

「・・・・・・なんて面して寝てんだよ。」

少し眉を寄せ、今にも泣きそうなその寝顔にサンジはかすかに息を呑んだ。
普段は触れなば切るとばかりに強気な顔しかみせないゾロが身体を丸め傷付いた表情で眠っている。
こんなに弱い顔をするゾロをサンジは始めて見た。
なんだかその表情にやりきれない苦さを感じる。
魔獣だ、海賊狩りだと世間を騒がして、普段の冷静な態度を見るにつけ忘れがちになるのだがゾロも自分と同じ19歳なんだと、サンジはあらためて認識した。
そっと手を伸ばして優しく頭を撫でてやる。
ほんの少しだけその泣きそうな表情が和らいだように感じてサンジはほっと息をついた。

「また、後で起こしに来てやるよ。」

何度か同じ動作を繰り返し、ゾロの寝息が安らかに落ち着いたのを見計らってそっと手を戻す。
あんな顔で眠っていて疲れが取れるはずはないのだ。
サンジは足音を立てないようにそっと男部屋を後にした。




その日からサンジは気付かれないようにゾロの様子を見るようになった。
食事中とか、鍛錬の間とか、ほんの少しだけゾロに気を向けることにしたのだ。
そして分かったのは、やはりというか、ゾロの食事量が減ってきていることだった。
目に見えて顕著に減ったというほどのことはないが、ほんの少しずつ確実に減ってきているようだった。

「おい、調子悪いんじゃねぇのか?」

日課の錘を使った振りの鍛錬を終えたゾロにジュースを満たしたグラスを差しだす。
サンジがゾロの鍛錬後、水分補給にと作り始めたそれは最近は栄養補給も兼ねるようになった。
今までと違い果物を使ったり、野菜を混ぜたり、いろいろと工夫してゾロに差し入れる。

「・・ん?・・・・別に。」

ちょっと考えてサンジの問いをゾロは否定する。
そしてグラスの中身を飲み干すと軽く礼を言ってその場から立ち去って行った。

その後ろ姿を見送りながらサンジは咥えていた煙草の煙を溜息と共に吐き出す。
ここ数日で、益々、余分な肉をすべて削ぎ落としたようなシャープな身体つきになってきたとサンジは思う。
本人に自覚がない以上、気をつけて食事を取らせることも、鍛錬を止めさせることも、ましてや、休ませることなんて出来るはずはない。
グラスを煽るやけに綺麗になってしまった首のラインや、ほっそりとした頬のラインにサンジはギリっと煙草を噛み締めた。
いっそ、ルフィに話をしてゾロに休むように船長命令してもらうかとまで考えてサンジは苦笑する。
たぶん、それではゾロの体調は永久に良くならないような気がしたのだ。
サンジは空に向けて長く煙を吐き出した。
いざとなればここには優秀な船医もいる。
自分のテリトリーの中で出来る限りのことをしようとサンジは風に流れていく紫煙を見送った。








≪act.2≫



ゾロは激しい痛みの中、見えない目を凝らした。
あたりは暗闇で何も見えない。
その景色に自分が夢を見ていると自らに教える


そう、この後の展開をゾロは何度も繰り返し見ていた。

しばらくすれば何処からか現れた。暗い目をした、血に濡れた刀をもつ男と出会うのだ。

その男に誘われるように抜刀し、薄く火花を飛び散らせ男と切り結ぶ。

何度も、何度も・・。

やがて勝敗はつき、勝った己は、その男の胸を切り開き、刃を突き立てるのだ。

深く、深く・・。

闇に輝く翡翠の光が消えるまで。


血に濡れた顔は己。
血に沈む男の顔はゾロをしている。


そして、ここで男に負ければ呼吸をすることさえ苦しい、激しい痛みを伴って現実で目が覚める。



だが、負けなければあらたな饗宴が始まるのだ。


それは終わりのみえない顔も分からない亡者との戦いであったり。
血に濡れた我が子を抱きかかえた母親の終わることない呪詛の声であったり。
幼い自分を笑いながら犯した海賊達の終わることない下卑た欲望だった。


それらの結末は必ず同じ場面で幕を引く。


戦いの鈍った身体に吸い込まれていく幾本のも刃。
母親の手にした小さな短剣が皮膚を切り裂き刺し貫く。
男達の汚濁にまみれ愉悦に喘ぐ喉を掻き切る己の刀。

そして、消えゆく意識の中で見えるのは・・・・・。

いつも、闇に輝く冷たい翡翠の瞳。









ゾロはドクドクと耳元を走る鼓動に詰めていた息を吐き出した。
鉛のように重い身体と痛みに軋む呼吸。
そろそろと重い腕を額に当て、深呼吸を繰り返す。
暗闇の中、しばらく呼吸を整えてゾロは静かにハンモックを滑り降りた。
男部屋に響く大きな鼾にほっとしてゾロは和道一文字だけを携えて甲板へと上がる。

「今夜は満月か・・・。」

甲板を満たす明るい光に空を仰いで小さく呟く。
青白く光り輝く月は、丸く空の一部を切り取っていた。
どちらにせよ、今夜はもう眠れそうにないと自嘲気味に頬を歪めて溜息をつく。
時間つぶしに見張りを代わってやろうにも今夜の当番はサンジだ。
振り仰いだキッチンの丸窓には明かりがみえ、まだその場所にいるのだろうと想像できる。
見張りを替わってやるといって単純に喜ぶ他のクルーと違い、サンジ相手では一筋縄ではいかないことはさすがにゾロも分かってきている。
それに薄々でも、ゾロが本調子でないことにサンジは気付いている可能性は高い。
当番でもなく、交替を言い出せば、敏いあの男はまともにゾロが眠れていない事に気付くかもしれない。



基本的に、サンジは自分とは反対に位置する人間だとゾロは思っている。
蹴り技は確かに赫足のゼフ譲りの強さだが、サンジのそれはあくまで防御の為の強さだ。
もちろん海賊である以上、戦うことに躊躇いはないが、それはあくまで理由のある戦いにおいてだ。
自分やロビンのように、ましてやルフィのように己の為だけの戦闘はサンジはしないだろうと思う。
それはアイツの生き方の根本で、やはり自分とは世界の違う人間だとゾロは感じる。

生かす為に殺すアイツと殺す為に生きる自分。

けして交わることのない背中合わせの世界。



ゾロは一つ息を吐くと、ゆっくりとした足取りでキッチンを目指した。
どちらにしても、もう今夜は眠れないのだ。
多少の小言は覚悟して酒の一杯でも飲んで落ち着きたい。
ゴトゴトと、ことのほか重い足取りになったが目的の場所に辿り着き扉を開く。

「・・・・酒。」

テーブルに寄りかかり煙草を燻らせている姿に声をかける。

「飲みすぎだ。」

案の定、扉を開けるなり言った言葉に軽く睨まれる。
それを無視してゾロは椅子に座ると立っている男を見上げた。

「寝てたんじゃねぇのかよ。」
「目ぇ覚めちまったんだ。」

コックの問いかけに小さく呟けば、その目が何かを探るように向けられる。
その視線を正面から受け止めてゾロはもう一度酒を催促する。

「・・ちっ、一杯だけだからな?」

煙草を灰皿で揉み消し、カチャカチャと音をたててシンクに向かい何かを用意し始める。
てっきりグラスに注がれた酒が出てくると思っていたゾロは不思議に立ち動くその背をぼんやりと眺めた。

「ほら、こっち食って、ゆっくりと飲め。」

カタンと音をたてて目の前に置かれたのは小さな皿に入った焼き菓子と、ホットワイン。
コックの顔になったサンジに目で問いかければクスリと笑う。

「いいから食え。クソうめぇぞ?」

促されるまま口に入れれば甘いバニラの香りが広がる。
そのホッとする香りにゾロはあっという間に皿の上の菓子を平らげてしまった。
なんとなく気恥ずかしい思いでチラリとコックの様子を伺えば嬉しそうに笑みを浮かべている。

「・・・美味かった。」

素直にそう告げて皿を返すと当たり前だといって片付けにサンジはシンクへ向かう。
その背を眺めながら、半分ほど残っているワインを言われたとおりに少しずつ口に運ぶ。
食器の触れ合うかすかな音と、蛇口からこぼれる水の音。
明日の朝の仕込みなのか、たまに鍋の蓋を取っては覗き込んでサンジは何やらやっている。

「おい、眠いならそのまま寝ちまってもいいぞ。」
「・・んー・・。」

何かコックが言っている。
そうゾロは思いながら重くなった目蓋に逆らうことも出来ずに意識を手放した。



コトン・・・。

小さな音をたてて倒れたグラスがゾロが夢の住人になったことをサンジに教えた。
静かに振り向けばテーブルに突っ伏したままゾロが寝息を立てている。
ゆっくりと近付いてそっと顔を覗き込んだ。
そして、やっぱり痩せてきたなと眉を寄せる。
たぶん一番の原因は眠れていないことだろうとサンジは思った。
昼間も眠っているようにみせかけているが、実は眠っていないことにも気付いた。
なんというか、気配が違うのだ。
かすかに緊張しているような、薄い拒絶の幕がゾロにみえるのだ。

「やっと、眠ったか。」

とっくに明日の準備など終わっていたのだが、珍しく力を抜いているようなゾロの気配にわざと仕事を増やして眠るのを待った。
明日、少しでも栄養を取らせようと作っていた木の実のガレットを食べた時のほっとしたような、安堵したようなゾロの顔に、逆にこちらがほっとさせられた。

「なんとかしてやりてぇけど、こればっかりはなぁ・・。」

ゾロの眠れない原因は精神的なものだろうとサンジは推測している。

かつてゼフの元で、あの飢えとゼフへの強迫観念でサンジは何度も命を絶ちそうになった。
眠れない日が続き、意識を失うようにして眠りに入れば、見たくもない夢を見て、飛び起きる。
その繰り返しだ。
そのうち、それに気付いたゼフに夢を見る元気もないほど扱き使われ、やがて様々な経験を積み、知識を蓄え、葛藤を乗り越え、今では夢を見てもそう簡単に飛び起きることはなくなった。
それは現実をしっかりと見つめる勇気が出来たというか、覚悟が出来たのだろうとサンジは思っている。

そっと手を伸ばしてゾロの柔らかな髪を優しく撫でてやる。

自分にはゼフがいた。
しかし、ゾロにはゼフはいない。

自分が代わりになれるとは思えないが、少しでも肩の力が抜けるようにしてやれたらと思う。

「本当はさ、アンタが安心して眠れる存在になりたいんだけどね。」

それは自分には無理だろうとサンジは苦笑する。
どれだけ弱っていようとゾロはゾロだ。
この男の精神の在りようは誰よりも強い。
テーブルにうつ伏せたままの苦しそうな格好から楽な状態にしてやりたいが、下手に動かすとゾロも目覚めてしまうだろう。
見張りにいくために用意してあった毛布をそっと肩にかけて、もう一度だけ髪を優しく撫でる。

「おやすみ、ゾロ。」

灯りを消して静かにキッチンを後に、新しい毛布を調達する為にサンジは男部屋へと降りていった。









食欲をそそる米の匂いにゾロはゆっくりと目を開けた。

「・・・痛てぇ。」

何気なく動いて苦痛の声を上げる。
ぎっちりと固まった間接の痛みに思わずゾロの目に涙が滲んだ。

「ククク・・・ちょっと待ってな。」

笑い声と共に靴音がし、温かな手のひらがゆっくりと首から背中、肩へと軽く揉み解すように触れていく。
じんわりと温められて強張っていた間接から緊張が取れていくのが分かった。
優しい手の感触に思わずうっとりと目を閉じかけてポンとその肩を叩かれる。

「ほい、終わり。もう動けんだろ?」

ゾロの返事を待たずシンクに向かったサンジの後ろ姿を眺めながらゆっくりと体を起こす。
2、3度瞬きを繰り返し、そこが昨夜のままキッチンであることにゾロは首を傾げた。
窓から差し込む光はすでに朝のまぶしさを持っている。

「・・・寝ちまったのか。」

夜に酒を貰いにきて、菓子を食わせてもらいサンジが仕事をしているのを眺めていたところまではゾロに記憶がある。
そのあと眠ってしまったのだろうということも分かった。

「ああ、朝飯の用意しに来たらいるからさ。こっちが驚いたぜ。」

ゾロの独り言に答えながら忙しそうに立ち動くその姿を眺める。
サンジの料理にかけるプライドは自分の信念と負けず劣らずだと知っている。
この男は食事や飲み物に一服盛るようなことは絶対しないだろうと考えてゾロはすこし驚いた。
ならば、あれだけ眠れなかった自分が、この男の前で無防備に眠り込んでしまったという事になる。

「起こしてくれれば。」

憮然とした表情で小さく呟くと呆れたような顔でサンジが振り返った。
その手にした皿から食欲をそそるいい匂いがしている。

「マリモくん、俺様は昨夜は見張りだったわけだ。」

カタンと音をたててゾロの目の前に焼き魚の入った皿が置かれた。

「人が仕事してる後ろで酒を飲んで寝ちまったのはアンタの勝手だし、途中で起きて部屋に帰るだろうと思って見張り台に向かった俺に罪はないと思うんだけど?。」

どこから用意したのかと聞きたくなるほど、カタコトと音をたててゾロの前に料理の乗った皿が並んでいく。
鉢に盛られた野菜の炊き合わせ、佃煮、厚焼きにはご丁寧にも大根おろしが添えられている。

「ほら、手と顔拭け。」

熱々の蒸しタオルを広げながら渡されて、言われるままに顔と手を拭いていると、野菜がたっぷり入った味噌汁の椀がテーブルの上に置かれる。

「そら、それ返せ。で、ほら。」

タオルを取り上げられ、仕上げとばかりにたっぷりと炊き立てのご飯をよそった茶碗を渡された。
差し出されるまま受け取って、その匂いにグウゥと鳴った腹の音にゾロは顔を赤くする。

「召し上がれ。」
「・・あ、いただきます。」

軽く手を合わせてパクリと口に運ぶ。

「美味い・・・。」

口の中に広がった仄かな米の甘みに、最近忘れていた食欲が戻ってきたような気がした。
パクパクと夢中で頬張っていると楽しそうに見ているコックと目があう。

「ん?おかわりいるか?」

頷いて空になった茶碗を差し出して、味噌汁も飲み干しそれも差し出す。
よそってもらい、礼を言って受け取ると香ばしい匂いをさせて丸干しが追加される。
パタンと小さな音をたててキッチンの扉が開かれた。

「あら、珍しいのがいる。」
「おはようございます。ナミさん。」

さっと身を翻して扉までナミを迎えに行ったサンジの姿にほんの少しゾロの中で何かが引っかかった。
だが、とりあえずは食べてしまおうとゾロは丸干しに齧り付く。

「おー、おはよーゾロ。」
「おはよう、今日は早いな、ゾロ。」
「おはよう、チョッパー、ウソップ。」

ガヤガヤと人が増え始め、次第に賑やかになっていくキッチン。
さっきまではあんなに美味いと思っていた食事の味がいつしか感じなくなってきたのにゾロは小さく溜息をつく。
そしてガツガツと残りを無理やり詰め込んで席を立つと、ちょうど食べ始めた皆と逆に食べ終わる形になった。




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