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サンジがナミの言った『綺麗な獣』という言葉を理解するまで、それほど時間はかからなかった。



子供の成長は早い。
一ヶ月もすればサンジが拾ってきたゾロのボロボロだった身体は、少しづつ本来持つ綺麗な体躯へと変わり始め、半年も経つ頃にはその身体は大人のものとほぼ変わらないほどに成長を遂げた。
幼い頃に負った身体を切り裂く大きな傷跡は、柔らかな体毛に覆われ、かさついていた皮膚は滑やかな肌に変わり、パサパサだった体毛は黒々とした光沢を放つ。
光を弾く若い体躯と、綺麗な翡翠の瞳。
確かにナミが言ったようにゾロは一日、一日綺麗な獣になっていく。

「サンジ。」

いつの間にか背後に立っていたゾロに名前を呼ばれてサンジは振り返った。
拾われてきた頃、まともにサンジの名前が発音できなかったのも今は過去のことだ。

「なんだ?腹減ったのか?」

ゾロの成長に合わせて今まで住んでいた草原近くから湖の近くへとねぐらを変えた。
湖の近くの方が餌となる小動物が多かったし、草原近くの木の洞は身体の大きくなったゾロには窮屈になってきたのだ。

「いや、なにか手伝おうか?」

ゾロが狩ってきた野ねずみをさばくサンジの手元を覗きこんでそう聞いて来る。
日々大きくなっていく体躯に関係なく、あいかわらず暇さえあればゾロはサンジにべったりとくっついている。
幼い時と変わらない我儘で甘えたがりなそんなゾロにサンジは微かに笑う。

「いい、あっち行って遊んでろ。」
「ガキ扱いすんなよな。」

右に左に、サンジが移動するたびに同じように動いているゾロに苦笑して告げれば、不貞腐れたように言って部屋から出て行ってしまう。
尻尾がかすかに揺れていたから多少拗ねてもいるのだろう。
相変わらず甘い物の好きなゾロの為に蜂蜜漬けにした葡萄をデザートに出してやってもいいかもしれない。
丸々と太った獲物の大半はゾロの口に入る。
少しでも美味しく食べやすいようにとサンジは腕を揮う。
料理が出来たら湖に迎えに行こうとサンジは思いながら手を動かした。
ゾロはサンジの教えのせいなのか、本来の性質なのか、不必要な狩りはいっさい行わない。
その狩りも獲物を苦しめるようなやり方はしないのだ。
鮮やかに、惚れ惚れするほどの手際で獲物を屠る。
狩りの仕方を教えた灰色狼のスモーカーと、豹のロビンは優秀な生徒だったとゾロを手放しで誉めた。
遊び仲間のナミは、たまに遊びに来てはゾロの毛繕いをしてやったり、縄張り外のいろいろな場所にゾロを連れだしているらしい。
しかし、それとは逆にウソップ、ルフィといった幼い時に頻繁に遊びに来ていた面々がなかなか顔を出さなくなった。
サンジが共に居るときか、他の誰かと一緒に訪れるか、それ以外では滅多にこの場を訪れようとはしない。
特にゾロが一人でここに居るときは決して近付かないのだ。




それは、ゾロは捕食者だから。




サンジはゆっくりと翼をはためかせ湖に立つ樹木の一枝に足を下ろした。
澄み渡る湖面には風が波紋を描く以外静かなものだ。
何を考えているのか、微動だにせず湖面を見つめるゾロの姿をいつもの岩の上に見つける。
本来なら水辺は好まないはずなのだか、湖面に張り出して存在するその大岩をいたく気に入っているらしくゾロはよくその場に居るのだ。
見通しの良いその場所は空からの襲撃にあいやすい危険な場所なのだが、子供の頃のゾロならともかく、今のゾロに空からの襲撃は脅威ではない。
天気の良い午後などはよくその場で昼寝を楽しんでいる姿を見かける。
微かに動く尻尾の先にどうやら眠っているわけじゃなさそうだとサンジは判断して樹の枝から飛び立った。

「ゾロ、帰るぞ。」

翼をはためかせて緩やかにゾロの正面に舞い降りればサンジを見つめて嬉しそうに笑う。
幼い頃そのままの笑顔にサンジも笑みを返す。
にゃんじと呼びかける小さなゾロが一瞬サンジの中に浮かんでは消えていった。











通りすがりに狩った野ウサギを手土産に現れたゾロを見つけてナミは嬉しそうに笑った。
縄張りにゾロが入ってきたのは知っていたが手土産付きとは予想外だったのだ。
ナミは出会った時は小さな子供でしかなかったゾロが会う度に綺麗な獣になっていくのが純粋に嬉しい。
小さくて可愛くてロビンと先を競うようにしてかまっていた頃が懐かしい。

「いらっしゃい、ゾロ。」
「ああ、これ。」

ゾロから受け取った野ウサギは丸々と太って美味しそうだった。

「ありがとう。」

にっこりと笑ってゾロのお気に入りの場所へと通してやる。
こんもりと盛り上がった場所に柔らかな苔の生えたそこを気に入ってナミはここに住んでいるのだ。
ゾロが小さな時はその場に転がしてやると楽しげに遊んでいたのだ。
ゾロはのんびりとした動作でナミに案内されるままにその場に優雅に寝そべった。
日の光が艶やかなゾロの体の上でいくつも玉を結ぶ。
艶々とした黒いゾロの身体を光が流れていくその景色は最近のナミの一番のお気に入りだった。
今日は毛繕いでもしてやろうかと何気なくナミは近付いて初めてゾロが纏っていたその匂いに気付いた。
ほんの微かでしかないが甘く蠱惑的な香り。
発情期を迎えると身体が纏いはじめる恋の合図。
ゾロから香るそれは気をつけないと普段の体臭に混じってしまうほど微かなものだったが。

「ねえ、ゾロ・・・。」

両目を閉じて眠る体勢になっていたゾロはナミの呼びかけに面倒くさそうにパタリと尻尾を一つ動かした。
眠っているわけじゃないとアピールしたそれにちょっと呆れながらナミは続ける。

「最近、体の調子が悪いってことはない?」

発情期が近いなら妙に身体がだるいとか、気分がやけに高揚するとか、何らかの前兆が現れているはずなのだ。

「・・・別に。」

ゾロはナミの質問にそう答えてパタパタと尻尾の先を動かす。
その答えにナミは質問の仕方が悪かったかと少し考えると口を開いた。

「それじゃ、最近コレが食べたいなーとか思ったことない?」

幼い頃は食欲も性欲もそれほどはっきりと区別がつくわけじゃない。
ナミだってはじめての発情期の時は、大人達に教えてもらっていたにも関わらずそうだと気付かなかったのだ。
ただ欲しいという純粋な欲求といえばそれまでで、自分がそうなっているなんて全然気付いてなかった。
ゾロは薄目を開けてナミを見つめると一つ大きな欠伸をした。

「食いたい・・・?」

パタパタと先程よりは大きく尻尾が振られる。
ゾロは首を巡らせてナミの質問に真剣に考えているようだった。

「そう、思ったことない?」

重ねて問いかければゾロはジッとナミを見つめた。
その眼差しにナミの胸はドキリと高鳴る。
自分より遥かに大きな体躯になってしまったゾロは種族が違っても分かるほど強く綺麗なオスなのだ。
事実、ゾロを伴って散歩しているときに出くわす女達はどこか羨ましそうにナミを見る。
恋愛対象にはならないと分かっていてもその視線は心地よくナミを優越感にひたらせてくれた。

「・・・・・サンジ。」

長い沈黙の後、ポツリと呟かれた言葉にナミは来るべき時が来たと思った。
サンジくんの馬鹿、だから早く手放すように忠告したのに・・・ナミは心の中でサンジに悪態をつくとそっと溜息を零した。
そして、ゾロを怯えさせないように優しく続きを促す。

「サンジくんを食べたいと思うの?どうして?」

ゾロは先程と同じく両目を閉じて眠る体勢を取る。
そしてしばらくの沈黙の後、静かに口を開いた。

「いい匂いがするんだ。」
「それって、料理の匂いじゃなくて?」

重ねて問いかけたナミにゾロは苦笑を浮かべた。
サンジはいつだっていい匂いがするのだ。
ゾロの好きなお菓子の匂いや美味しい料理の匂いが。

「違う・・と思う。」
「それってどんな匂いなの?」

ゾロはいつもと少しだけ違う匂いを思い出してナミに説明しようとする。

「よくわかんねぇ。サンジが焼くケーキみたいな匂いだって思うこともあるし、テーブルに飾ってある花みたいな匂いのときもある。」
「その匂いを嗅ぐとサンジくんを食べたいって思うのね?」
「・・・・・・ああ。」

ナミの問いかけにゾロは少し考えて首を縦に振った。
そのゾロの答えにナミはサンジがラブシーズンに入ったのかもしれないと思う。
種族は違うけれどその匂いに触発されてゾロも発情しかかっているのかもしれない。
ナミは近付くと優しくゾロの頬を舐めた。
チラリと見てくるその顔に悪戯っぽく笑う。

「いい子だからサンジくん食べないでよね。」
「誰が食うかよ、あんな不味そうな奴!。」

パタンと一つ大きく振られた尻尾と、子ども扱いされて不機嫌そうなゾロの声にナミは笑う。
ゾロはまだまだ子供なのだ。
大人である自分がこれからゾロに悲しい思いをさせないようにサンジに言って配慮してやればいいのだ。
ナミはそう考えるとにっこりとゾロに微笑んだのだった。




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