ガサリという葉ずれの音に横を歩いていたゾロが雪を蹴った。
ハッと驚いてサンジが顔を上げればチョッパーの足元に火線が走り、飛び退けたところだった。
慌ててその背を追いながら必死で目を凝らす。
ゾロの一閃に襲撃者を隠していた背の低い樹木が吹き飛んだ。

サンジの目に映ったのは猟銃を手に、脅えた目でへたり込む小さな女の子の姿だった。
チョッパーをただのトナカイだと思って猟銃を構えたのだろう。

なんの躊躇もなく振り上げられた輝きにサンジは必死で声を上げた。








「駄目だ、ゾロ!!!」













雪原に、しろい白いその世界に一筆の紅が入れられる。

その紅はあかく、朱よりもあかく。

そして・・・・・・・。

降りかかった血潮は温かかった。







「サンジくん!!」
「サンジィーー!!」



サクッと、何の抵抗も無く身体に吸い込まれた刃にそれを止める術は無かった。



「チョッパーぁああ!!!」



切っ先がプツプツと筋を断ち、右から左に向けて切っ先が徐々に飲み込まれていくのをどこか不思議な気持ちで見ていた。



「サンジ!サンジ!サンジィ!!!」
「チョッパー、早く、早く来てぇ!!」
「しっかりしろぉーサンジィ!!」



白い鞘のその刀を手に、翡翠の眼差しはまっすぐで。



「しっかり、しっかりして!!サンジくん!!」



泣いてるレディより筋肉マリモのクソ剣士のことが心配だなんて。



「目ぇ開けろ!サンジィーー!!」



ウソップ、後は頼むな。






・・・・クソ剣士。


・・・・ゾロ。


俺はアンタが・・・・。





真っ白だった雪原を深紅に染めて。
まるで初めからその場にあった景色の一部分のように。
鮮血に染まったサンジは静かに横たわっていた。









キッチンの片隅に両膝を抱えて蹲るゾロに誰も声が掛けられなかった。
まるでそれだけが唯一の支えとばかりに、縋るように抱き締めた3本の刀も今は精彩を欠き、ただの棒のようだ。

「剣士さん・・・お別れをしましょう?」

涙で掠れたロビンの声にピクリとゾロの身体が揺れる。
泣きすぎで声の出なくなったナミの代わりにゾロを呼びに来たのだ。



船にあったありったけの綺麗な布と、冬島で必死で集めた微かな花達。
血で汚れていた顔は綺麗に拭われ、彼の自慢だったサラサラの金の髪も今は輝きを取り戻している。
ロビンとナミの手で薄く紅を施された顔はいつもと変わらず、皮肉な笑みと共に今にも起き上がりそうだった。
ウソップが急遽彼の為に用意したのは船を模した棺。
緩く合わされた手の上には彼の愛用の煙草とライター。
飢えることが嫌いな彼の為に用意されたバスケットの中にはいくつかの食材とワイン、そして、愛用のナイフとグラス。
ノリのきいたブルーのシャツに黒のダブルのスーツ。
顔を寄せれば仄かにいつもの紫煙の香りがした。



「お願いよ、剣士さん。貴方がお別れをしてくれないと彼を海に帰せないわ。」

島を離れ、海流に乗ったこの船は次の島を目指して進んでいる。
島への流れにとらわれないこの海域ならサンジを海に帰すことが出来る。
ロビンはそう説明してゾロが動き出すのを辛抱強く待った。

「剣士さん・・・。」

ゆっくりと蹲っていたゾロの顔が幾度目かの呼びかけで上げられる。
その表情に・・・ロビンは零れ落ちる自分の涙を止めることはできなかった。



それは、無垢な瞳だった。


自らの手で最愛ともいえる者の命を奪った自分を認めることも、さりとて否定することも出来ず、嘆くことも、涙を流すことも出来ず、ただ、そこにゾロはいた。

澄みきった翡翠の瞳は涙を流すロビンを見つめ、悲しみに浸るクルーの姿を映し出す。

だが、ゾロにはサンジの為に泣けないのだ。
どれほど悲しくても辛くても、その命を奪ったのがほかでもない自分だから。

「剣士さん、コックさんにお別れを言ってあげて?」

優しく呼びかけてロビンは促すようにゾロに手を差し出した。
その手とロビンの顔を見比べて動かなかったゾロが一歩後ずさる。

「剣士さん?」

自分の手が信じられないのかと差し出した手を引っ込めてもゾロはまた後ろに一歩下がっていく。
もとより壁を背にしていたゾロはあっという間にそれ以上は下がれない位置まできてしまう。

「剣士さん?」

不思議な気持ちで呼びかければ迷子のような顔のゾロと出会う。
クシャリと泣き笑いのように顔を歪めてゾロは小さく呟いた。

「・・・いやだ。」
「剣士さん?」
「いやだ、嫌だ、いヤダ、イヤダイヤダ・・・・。」

小さな声だったものが徐々に大きくなっていき、その声に驚いたようにクルーの視線がゾロに集まる。

「イヤダ!!」

悲鳴のようなその叫びにナミの目から止まっていた涙がまた溢れる。

「ゾロ!いい加減にしろ!」

滅多に荒げないルフィの怒声が部屋を揺るがす。
伸ばした腕でゾロの胸元を掴み上げ、正面からその怒りを宿した目を向ける。

「ゾロ!目ぇ開けてよく見ろ。サンジは死んだ。もういねぇんだ!!」

ギラギラと光るその目を静かに見返したゾロはうつろな視線をルフィに見せるだけ。

「ゾロ!!」

ルフィの怒声と生地の裂ける音が部屋に響く。
シャツを力任せに引き千切られ、背から壁に叩きつけられたゾロはずるずるとそのまま床に崩れ落ちた。
その身体に飛び掛るように馬乗りになり、ルフィはゾロを床に押し付ける。

「サンジの代わりがいるなら・・・、抱いて欲しいなら、俺が抱いてやる!!」

抵抗も無く呆然と見上げているゾロの頤に手を掛けてルフィは噛み付くように唇を合わせる。
無理やりにゾロの口を抉じ開け、逃げる舌を追って絡めとる。
途端にビクリと跳ね上がった身体を押さえつけ、きつく拘束する。
ルフィの手から必死で逃れようとゾロは頭を振りその身体を押し退けようと暴れ始めた。
その身体を尚も押さえつけて自由を奪うとルフィは激しく唇を重ねる。

「忘れろ、ゾロ!!」
「イヤダ!!」

激しいルフィの声に、悲痛なゾロの悲鳴が上がる。
もがく身体を押さえつけて噛み付くようにルフィは口付ける。
ゾロの瞳から始めて一筋の涙が零れた。

「グフッ!!」

真横から天候棒に殴り飛ばされ転がったルフィとゾロの間にナミが立ち塞がる。
ゾロを庇うかのように抱き起こし、そっと毛布でその身体をつつんだロビンも珍しく怒りをあらわにしていた。

「いい加減にして!ルフィ!!」

震えるナミの声にルフィが静かに頭を垂れる。
気付けばサンジの眠るその場を除いて、部屋の中は嵐のあとのような有様になっていた。
あちらこちらに散らばる破片に、ナミは彼の思い出を自分達で壊してしまった事に気付き涙が零れた。

「船医さん、ちょっと来てくれる?」

静かなロビンの声は静まり返った室内でよく響いた。
はっとしたように顔を上げたチョッパーが招かれるままに近寄ってくる。
ロビンは腕の中に庇ったゾロをそっと見やった。

「剣士さんが、怪我をしたみたいなの。」

大人しく抱かれているその腕をチョッパーに見えるように毛布から出してみせる。
倒れた時に破片でも突き刺さったのか腕から流れる血が指先を伝って床に染みを作っている。
ポタポタと流れるそれにチョッパーは慌てて医療鞄を取りに踵を返す。

「・・・剣士さん?」

そのチョッパーを追うかのように伸ばされた腕にロビンは声をかける。
ゾロの視線を辿れば床に落ちている小さな木箱に向けられているようだった。
咲かせた腕でそれを引き寄せ、そっとゾロに差し出してやる。
ロビンには計り知れないところで、木箱になにか二人の想い出があるのかもしれないと思ったのだ。
血に塗れた手で受け取ってゾロはほっとしたように笑みを浮かべた。
ポタポタと、流れるままに任せた涙はもう止まる気配も無く、血と涙で箱を濡らしていく。

「ゾロ、治療するから腕みせて・・。」

チョッパーの言葉に箱を床に置いてゾロが大人しく腕を差し出す。

「あ・・・。」

近寄ろうとしたチョッパーの蹄に当たってコトンと音をたてて木箱が転がった。
続けてカタンと鳴った小さな音にゆっくりと三人の視線が注がれる。
パッカリと口を開けた木箱の中から、黄ばんだ綿が覗いていた。
ゾロの手が伸びてゆっくりと箱を拾い上げる。
そして綿に包まれていた小さな黒い物を手のひらに振り落とした。

「・・・・種?」

ゾロの手のひらの上、それは小指の先程の、小さな植物の種に見えた。

「え?!」

ロビンとチョッパー、ゾロの見守る中でその種はニョッキリといきなり根を生やした。
そして凄まじいスピードでゾロの腕に根を巻きつけると、傷口に根を差し込んでくる。

「寄生植物!!」

ロビンの悲鳴のような声に一斉に顔を上げる。

「ゾロ!!」

腕全体を植物の根に巻かれ、手のひらからは青々とした植物がその葉を伸ばす。
激痛に声も出ないのか床に倒れ付したゾロは苦しげに身を捩るだけだ。
ゾロを苗床に細長い葉をいくつも茎に巻きつけたような植物はナミの背ほどの大きさになって成長を止めた。

「ゾロ、ゾロ、わかるか?。」

ヒュウヒュウと痛みでまともに呼吸できないのか細い息を繰り返すゾロに近寄ってチョッパーは話しかける。

「あ・・・ああ、わかる。」

小さな声だがゾロから返った応えにチョッパーはホッと胸を撫で下ろした。
皮膚の中、何処まで根が張り巡らされたのか分からないがまずは植物を切ってしまうしかないだろう。
そう思いメスを手に葉に手を掛けた時だった。

「うわあああ!!!」

悲鳴を上げ、ドスンと尻餅をついたチョッパーにクルーの視線が集中する。
アワアワとチョッパーが指差す先に小さな女の子が立っていた。









『ゾロ・・・。』







「・・・・・くいな?」

ゾロの呼びかけに女の子はすこし笑った。

『ねえ、もう夢はあきらめる?』
「・・・夢?」
『うん、もう忘れちゃった?』

女の子の言葉にゾロはかすかに笑った。

「いいや。忘れてねぇし、諦めたりしねぇ。」

きっぱりと言い切ったゾロにくいなは満足そうに笑った。

『それを証明してみせてくれる?』
「証明?」

不思議そうなゾロにくいなはにっこりと笑った。

『ゾロの思いをみせてくれる?』

そしてくいなは横たわるサンジをゆっくりと指差した。

『ゾロの思いを証明して、私に夢を見せて。』
「・・くいな?」
『私はくいなだけど、くいなじゃないわ。』

クスリと笑ってくいなはゾロにそっと手を差し出した。

『これを飲んで、夢を見て。』

ポトリとゾロの手の中に落とされたのは黒い小さな種。

『ゾロの思いを証明して。』
「証明したら、俺はどうなる?」
『何も・・・何も、変わらないわ。』
「変わらない?」
『ええ、これから先も夢を追うことに変わりはないわ。』

静かなくいなの瞳と手の中の小さな種を見つめる。

『もし・・・・。』

漆黒の迷いのない眼差しがゾロを映す。

『ゾロがもう一度だけ・・・私にその思いを、私に夢を見させてくれたなら、私は一度だけ貴方の為に夢を見てあげる。』
「夢を?」
『ええ、貴方が大切なものを取り戻す夢を・・。』

にっこりと笑った顔にゾロは手の中の種を握り締めた。

「それは、約束か?」
『ええ、約束よ。』

床に横たわったままゾロはくいなを見つめた。
そしてゆっくりと手を口元に運ぶ。

「だめだ、ゾロ!!」

そのやり取りを呆然と見ていたチョッパーが慌てて声を上げる。
ゴクリと種を飲み下したゾロを優しく見つめてくいなが微笑む。

『約束よ。きっと私に夢を見させてね・・・ゾロ。』
「ああ、約束だ。」


ふっと少女の幻影が消え、金縛りにあったように動けなかったクルーが慌ててゾロに駆け寄ってくる。


「行くな、ゾロ!!」


ゆっくりとゾロの目が閉じていく。
パサリと小さな葉ずれの音とカタンと投げ出された手足。





暗闇に飲み込まれていくゾロの意識の中でかすかな羽音を立てて鳥が飛び立った。









・・・・・・・・そして、旅が始まる。




To be continued.



第一章 時逆の実 ++END++




←BACK


SStopへ



***************************************************

時逆シリーズ、第一章 時逆の実です。
序章にあたる部分なんですが、長いわ暗いわ(吐血
完結するまでは暗いお話嫌いな人は読まないほうがいいかもしれません(汗
毎月一章ずつ掲載して、全部で4章で終わる予定です(笑
計画通りに行けば・・・たぶん(^^;
期間も内容も長いお話ですが宜しければ最後までお付き合いください(礼