― 貴方とのその距離 ―
泥のような眠りが身体を捉えようと手を伸ばしてくる。
その誘惑を振り払うようにゾロは顔を上げ、足を止めることなく歩き続けた。
目指す先は確かにこの先にあるはずなのだ。
あたりを覆う闇は冷たく、暗く、いつでも死の香りを纏っている。
足を進めるたびに、カチャカチャと腰にある刀の鞘が触れ合う、その音だけがこの闇の中の歩んでいる証。
その瞳にしっかりと光を宿し、ゾロは前を見据えて歩き続ける。
その迷いのない眼差しの先にある。
・・・・・・・輝く色に向かって・・・・・・・。
『・・・・・・ゾロ・・・。』
< 1 >
バタバタバタバタ・・・・・凄まじい音をたてて、校舎の廊下を緑の頭が駆け抜ける。
ヒョイヒョイと対向者を身軽にかわすその青年の走る速度はいっこうに落ちそうもない。
なかなかの運動神経の持ち主のようだった。
『バッターーーン!!!』
やがて目的の場所を見つけたのか、ある部屋の前で急ブレーキをかけ止まった青年は躊躇なく扉へと手を掛けた。
いっせいに注がれた視線を無視してクルリと周囲を見渡し、飛び込んだ教室に目当ての人物がいるのを確認して青年は大きな声で叫んだ。
「ナミ!!サンジが妊娠した!!!」
「ブホッ!!」
シーンと水を打ったように静まり返った教室にカタリと静かに椅子を引く音が響く。
「あ・・・わりぃ。」
ゆらりと立ち上がったオレンジの髪の少女に、ドレッドヘアの鼻の長い少年が怯えた様に謝る。
会話をしていたために彼は少女の方へと顔を向けていたのだ。
少年は慌ててポケットからハンカチを取り出すと、自分が噴出したお茶のかかった少女の机の角を拭き始めた。
「・・・・ゾロ。」
低い少女の声に心底その顔に向けてお茶を吹き出さなくて良かったとしみじみと少年は思う。
「ナミ!!どうしよう、サンジが、サンジが妊娠しちまった!!」
余程気が動転しているのか、先程と同じ台詞を多少ボリュームを下げた声で伝えながらゾロと呼ばれた緑の髪の青年はオレンジの髪の彼女に駆け寄った。
駆け寄ってきた青年をチラリとみて少女の眉間に皺が刻まれる。
「ナ・・・。」
「うっさい!!」
「グゲッ!」
ドガンと派手な音がして無様な声を上げて床に沈んだゾロに軽く溜息をつくと、一撃で男を床に沈めたその両手をパンパンと少女は払う。
そして何事もなかったかのように先程と同じように席につくと途中になっていた食事を再開した。
「ナ・・・ナミ。サンジがどうとかって。」
「ウソップ・・。」
ひんやりとしたナミの眼差しにウソップは青褪めた。
「どうせしばらくしたらもう一人の当事者がくるわ。」
ナミは撃沈している男を指差した。
「だって、ゾロ、お弁当持ってないもの。」
「あ・・・確かに。」
ゾロがいつも食べているお弁当は、先程名前の出たサンジという人物が作っている。
またその事実はこのグランドライン学園で知らない者はいないというぐらい、周囲に当たり前に受け入れられている周知の事実なのだ。
ゾロの居るところサンジあり。
また、サンジ居る所にゾロあり。
それもまた事実であり、今更誰も騒ぐようなネタでもない。
「あたしは食事ぐらいゆっくりと落ち着いて食べたいのよ。・・・だから、邪魔しないでね。」
ナミはそういって優雅な仕草で食べかけのサンドイッチを口に運ぶ。
ナミが食べているのは美味しいと評判のサンドイッチ専門店のハムサンド。
朝からそれが食べたくてわざわざ遠まわりしてまで購入してきたお昼ご飯なのだ。
その主張にウンウンと頷いてウソップも弁当を食べ始めた。
どうせ、もうひとりの当事者が現れた段階で平穏とは程遠い環境になるのも過去の経験から安易に想像できるのだ。
落ち着いて食事がしたければもう一人が現れるまで放置しておくに限る。
その一連のやり取りを恐々と息を呑んで見守っていたクラスメート達も、ナミの指摘にまったくその通りとばかりに見物を止め、同じく食事を再開したのだった。
それから約20分後。
先程の騒音と負けず劣らずの凄まじい靴音がする。
全員の視線が扉に集中する中でやはり叩きつけんばかりに扉を開けた人物は声を張り上げた。
「ゾロ!!テメェなんの嫌がらせだぁ!!」
二度目ということでさっさと耳を塞いで防音していたナミとウソップは扉の前に立つ男へと目を向けた。
金の髪に、片目を隠した蒼い瞳の甘いマスクの二枚目は、それは見事な怒りの形相で教室の一点を睨みすえている。
しかし、その視線を注がれた人物はチラリと一瞬視線を寄越したきりで手にしていたサンドイッチに齧り付く。
一応、目を向けたもののまるっきり無視して食事を再開したゾロに男の額にピキリと青筋が浮かんだ。
男の額に青筋が浮かんだのを見てウソップははあ〜と心の中で溜息をついた。
やはりひと揉めあるんだな・・と思った彼は傍観者に徹することにする。
カツカツと靴音を響かせながら歩み寄ってくる金髪の姿に教室の隅からちらちらと興味深げな視線が注がれる。
だが、それを一向に気にした風もなく、ゾロの目の前でピタリと立ち止まると右手に握り締めていた風呂敷包みを差し出した。
「しかも手前ェ、誰に貰って、何食ってんだよ。弁当忘れて行きやがって。」
ドンと音を立てて弁当というには大きな包みが机の上に置かれる。
「サンジくん、それアタシがゾロに分けてあげたの。」
弁当を無視してサンドイッチをパクついていたゾロに文句を言いかけた男を遮ってナミが苦笑混じりに声をかける。
そしてその時になって始めてナミが傍に居たことに気付いたのか、ぱあぁっとサンジとよばれた金髪男の表情が明るくなる。
「ナミさん、今日も一段と素敵だあぁぁ〜。」
サンジを中心に噴出してきたハートをニッコリと笑顔で掻き消しながらナミは口を開いた。
「そんな当たり前のこと言わないで結構よ。それよりサンジくんが妊娠ってどういうことよ?」
「そうそう、ゾロがサンジが妊娠したーって叫んで飛び込んできたんだぞ?」
ナミの言葉に続いて傍観に徹していたはずのウソップが興味津々といった風に突っ込んでくる。
実はこのナミ、ウソップ、ゾロ、サンジは幼稚園時代からの幼馴染なのだ。
学年は一つ離れて、ナミとウソップは高等部、ゾロとサンジは大学部に通っているが、それでも時間が合えばいつもつるんでいる。
オレンジの髪に、パッチリとした目許、スタイル抜群の彼女がナミ。
ドレッドヘアに妙に鼻の長い、ヒョロリとした少年がウソップ。
緑の頭に深紅の瞳、細いけれどしっかりとした身体つきの背の高い青年がゾロ。
金の髪に蒼い瞳、ゾロと同じぐらいの身長でクルリと巻いた変わった眉をしているのがサンジ。
彼らは良くも悪くもこの学園の名物だった。
「そうだ、クソマリモ、いったいなんの嫌がらせだぁ!!」
ナミの出現に忘れかけていた怒りを再燃させ、怒鳴りつけたサンジへとゾロは一瞬目をやって最後の欠片を口に放り込む。
そしてほんの微か、本当に微かだけその綺麗な形の眉を寄せた。
「・・・ほら。」
その口元にサンジの指が伸びてきて唇の端のパン屑を払うと、どこに持っていたのかお茶の入った500mlのペットボトルを差し出してくる。
もちろんそのペットボトルのキャップはすぐに飲めるようにと外されていた。
そしてサンジは無言でお茶を飲み始めたゾロが散らかしたのであろう包装紙や、パン屑を手早く近くにあった袋に片付けていく。
「・・・・はあ。」
「お、お前らなぁ・・・。」
ゴクゴクと渡されたお茶を飲んでいるゾロと無意識に片付け始めたサンジに呆れたようなナミの溜息と、疲れきったようなウソップの呟きが漏れる。
そんな二人の様子にサンジは訝しげな視線を向けてかすかに首を傾げただけだった。
「・・・ん。」
半分ほど飲んだボトルを差し出され、それにしっかりと蓋を閉めて弁当の横に置いたサンジにゾロは困ったように口を開いた。
「だから、サンジが妊娠しちまったんだよ。」
「テメェ、だから、それはなんの嫌がらせだって言ってんだよ!!」
「仕方ねえだろ、サンジ妊娠してんだから!」
「だから、どういうつもりだって言ってんだよ!!」
「あああ!!!」
徐々にボルテージを上げて怒鳴りあってる二人を遠巻きに眺めていたウソップが突如大きな声を出す。
「何よ、ウソップ、あんたまで。」
ナミの不審げな眼差しにウソップは一人で納得したように頷くと、珍しくも角突き合わせている二人の間に割って入った。
手も足も出る二人の諍いに滅多に関わろうとしないウソップが動いたことにナミが目を丸くする。
「分かった。ちょっと落ち着けサンジ。」
ガルル・・と今にも蹴りかかりそうだったサンジを押さえてウソップはコホンと一つ咳をしてゾロに笑いかけた。
「ゾロ、サンジが妊娠しちまったんだよな?」
「ああ。」
「長っ鼻、オロスぞ!」
「黙ってろって、サンジ。あー、それに気付いたのはいつだ?」
ウソップの問い掛けに怒りが冷めてきたのかゾロが指折り数えてゆっくりと口を開く。
「よく食うし、太ったのかって思ってたんだが、腹が大きくなってるって気付いたのは今朝なんだ。」
「あああ!!」
ゾロの答えに今度はナミが大声を上げる。
それに分かったかとばかりにニヤリとウソップが笑った。
「ああ、そういうことなのね。」
いまだ状況が分からず、怒りは収まったものの困惑した表情でウソップとナミを見つめているサンジにニッコリとナミは笑いかけ、ゾロにも笑顔を向ける。
「生まれたら、子猫見に行ってもいい?」
「あああ!!」
コクリとナミの言葉に頷いたゾロに被さるようにサンジの声が響く。
驚いてサンジへと目を向けたその顔を眺めて、そしてなんともいえない表情でサンジがガックリと肩を落とした。
「・・・ゾロ・・・。」
疲れたようなその声にゾロが微かに身構える。
「なんだよ、クソコック。」
はあっと深い溜息をついたサンジにナミとウソップが小さくご愁傷様と笑み混じりに声をかけてくる。
サンジは恨めしげな目で口を開いた。
「お前ね、メスなのにサンジって俺の名前つけたわけ?」
「メスだって知らなかったんだよ。仕方ねぇだろ。」
つい最近、ゾロは猫を飼い始めた。
一ヶ月前からフラリとゾロの家へ姿を現すようになった野良猫がそのまま家猫としていついてしまったのだ。
フワフワとした金茶の毛並みに薄いブルー瞳。
その猫にサンジと名前を付けたのは、その猫と金の髪の幼馴染が似ていると思ったから。
ただ、その猫がオスかメスかなんて特に考えてもいなかったのだ。
甘えたがりで、気位が高く、興味がないフリで、それでも移動するゾロの後をいつも追うようについて歩く姿に幼かった時のサンジを思い出してしまった。
「まあまあ、これだけ噂になってんだし、子猫の里親探しも案外楽なんじゃねえ?」
苦笑しながらのウソップの慰めなんだが事実確認だか分からない言葉にサンジは疲れたように頷く。
生まれたらその子達を貰ってくれる人を探さなければいけないのだ。
不器用なゾロにそれが出来るとは思えないし、たぶんその役目はサンジかウソップが引き受けることになるのだろう。
もっともゾロの飼っている猫の子供だと聞いただけで我先にと貰い手が殺到しそうな気もしないでもないのだが。
「・・なあ、コック・・。」
サンジの家がレストラン経営をしているせいでゾロは幼い時からサンジの事をコックと呼ぶ。
この歳になってもその癖が抜けず、いまだに愛称のようにゾロだけはサンジの事をそう呼ぶのだ。
「これ、食ってもいいのか?」
怒鳴りあっていたせいで忘れられていた弁当を手にしてゾロが問いかけている。
「ああ、テメェに作ってきた飯だ。一つたりと残したら許さねえぞ?」
「大丈夫だ。コックの飯は美味いから残らねぇ。」
にこりとも笑わずあっさりとそう告げたゾロが手近な椅子に腰を降ろしいそいそと弁当の包みを解き始める。
そのゾロの言葉に特にコメントもないのか、怒りの解けたサンジはドカリと椅子に腰を降ろし長い脚を組む。
「今日はテメェの好きな和風にしておいた。」
「あ、卵焼き入れてくれたか?」
「ああ、砂糖を入れた甘いやつだろう?それとホウレン草を巻いたのと入れといた。」
「お、サンキュー。」
ニンマリと笑みを浮かべたゾロにサンジが苦笑を浮かべる。
風呂敷包みの中から現れた二段重の蓋にゾロの手が掛かったところで疲れたようなウソップの声がかかった。
「あー、問題解決して仲良しなのはいいんだが・・・そろそろ帰ってもらえないかな。」
パッと二人の視線がこちらを向いたのに一瞬後退りそうになりながらウソップはコホンと咳払いを一つした。
「昼休み、そろそろ終わるんだよ。授業が始まっちまう。」
「はーい、お二人さん、そういうことなの。」
サッと横から伸びてきたナミの手が手早く弁当を包んでいく。
そしてハイっと笑顔でそれをゾロの手に押し付けた。
「あんた達がイチャイチャ、ラブラブしてるのを見てるのは面白いんだけど、先生や他のクラスメイトに迷惑だから。」
「イチャイチャ・・。」
「ナミさーん、なんでこんなマリモと俺が!!。」
ナミの表現にショックを受けたのか黙り込んだゾロと、逆に叫びに近い声を上げて抗議を始めたサンジにウソップはヤレヤレと肩を竦めた。
そんな二人にナミはにっこりと可愛らしく笑った。
そしてゆっくりと手を横に動かしピタリと一点を指差した。
「お帰りはあちら。」
高等部の校舎を後にして、肌寒い風を避けるために大学部の料理研究会の部室に向かう。
料理研究といってももっぱら雑誌に載るような店を訪ね歩いてそれのコラムを書いてみたり、逆に自分達で見つけたお勧めの店をHPに紹介したりと活動内容に調理は含まれない。
部室での活動など週に一度の定例会(それも30分もかからず終わる)を除けばほとんどが個別活動といってもいいこの部にサンジは所属していた。
手にした鍵でドアを開け、締め切ってあったカーテンを開けると温かな日差しが窓越しに部屋の中に注がれる。
その後ろを横切ってさっさと手を洗いにいったゾロに苦笑しながら散らかっていたテーブルの上を片付ける。
書き損じたのかメモなのか分からないような走り書きをまとめてクリップで止めながら切り抜きと共に雑誌に挟み込む。
「温かいお茶入れてやるよ、座って食ってろ。」
テーブルの上に弁当を置いてゾロと入れ違いにサンジが炊事場に姿を消す。
カセットコンロと小さなケトルがシンク横の微かなスペースに置いてある。
サンジは上部に備え付けてある棚を開くと中から急須と茶筒を取り出した。
ついでにそこに伏せてある湯飲みも取り出す。
茶漉しなんてもちろん上等なものはない。
サンジが所属する前からあったこの急須や湯飲みは何代か前の先輩の置き土産らしい。
「いただきます。」
背後の声にサンジはいったん顔を出した。
「おう、感謝して食え。」
ニヤリと笑ったサンジにゾロの眉が寄ったが箸は止まらない。
蒸気を吹き上げる小さな音にサンジはコンロへと取って返し、火を止めると茶筒から茶葉を急須に移す。
いまはすっかりサンジの専用品となってしまった茶筒には一袋198円の煎茶が入っている。
安いお茶でも入れ方次第でいくらでも美味しくなるのだというのは実はゾロに教わったことだった。
湯を注ぎ、きちんと葉が開いたのを確認して温めておいた湯飲みに注ぐ。
それを持ち運ぶ為だけに持ち込んだ小さなトレーに乗せてサンジはゾロの元へと向かった。
「どう?」
「美味い・・けど、これがなあ・・。」
湯飲みをテーブルに置きながら問いかけたサンジにゾロが弁当の中身の一つを目で示す。
向かい合うように正面に腰を降ろしながらゾロが示したおかずにチラリと目を向ける。
ゾロが摘み上げたそれは飴色になった佃煮。
「不味い?」
「いや、不味いってほどでもないんだが・・・なんか違う。」
首を捻りつつポイっと口に放り込まれたそれにサンジがクスリと笑う。
「ああ、そりゃあ、俺が作ったんじゃねえからな。」
「・・・コックじゃない?」
「ジジイが土産にって貰ったのを喰わねえからってこっちに寄越してきたんだよ。」
サンジの説明にゾロはマジマジと箸に挟まれていた貝の佃煮らしきものを見つめる。
先ほどサンジに言ったように不味くはないのだ。
ただ、口に入れても美味しいと思わなかっただけで。
「やーっと、マリモも俺の味が分かるようになったか。」
ニヤニヤと笑っているサンジに肩を竦めてゾロは白飯をかきこむ。
そして残り一個の佃煮もさっさと食べきってしまう。
サンジはそんなゾロの様子を目を細め食べ終わるまで眺めていたのだった。
弁当の汚れを流して戻ってきたサンジが正面に腰を降ろし、一服とばかりに煙草に火をつける。
フウッと吐き出された煙にゾロが眉を寄せたのも一瞬で特に文句は言わない。
「さて、俺のお怒りがお分かり?ロロノアさん?」
「あー、悪かった。」
サンジの顔をチラリと見てゾロは謝罪の言葉を口にする。
眉を寄せ皮肉っぽく歪んだ口元に肩を竦める。
けして機嫌がいいとは言えないその顔に、移動してくる間に何度も掛けられた声を思い出した。
『よ、ご懐妊おめでとう。』
『旦那とラブラブで羨ましいねえ。』
『式には呼んでくれよなー。』
擦れ違う知り合いから、軽い顔見知りまでがそう声をかけてきて最後は同じ言葉で去っていく。
『ゾロと仲良くなー。』
たぶんそれをサンジは登校してから一人で浴びせられていたのだろう。
この部屋に入るまで掛けられる声に、サンジはにっこりと笑顔を浮かべながら無言で歓声に手を振っていた。
その額にかすかに浮かんだ青筋に気付いたのは横を歩いていたゾロだけだったかもしれない。
誰も本気に取った様子はなく、また二人がなにかやらかしたいつもの騒動の一つだと認識されていた事が唯一の救いだろうとゾロは思っていた。
「悪かったって。」
ほんの少し眉を顰めて不機嫌そうに煙草を燻らす横顔にゾロはもう一度謝った。
はあぁーっとそんなゾロの顔を見つめてサンジが溜息をつく。
「大体さあ・・・。」
そう言いながら前のめりに近付いてくるサンジをゾロは眺めていた。
「なんで俺が孕むわけ?孕むなら俺よりアンタの方だろう?なあ?俺のお嫁さん。」
くっと間近でサンジに悪戯っぽく笑われてゾロの目が丸くなる。
悪戯っぽい笑みのままチュっと音をたてて、ゾロの唇を奪ったサンジが可笑しそうに目を輝かせる。
唇の触れたその感触をゴシゴシと手で拭いながら眉を寄せ、今度はゾロが溜息をついた。
「覚えてたのか・・。」
「ああ、もちろん。」
その言葉に二人の古い記憶がゆっくりと再現される。
夕暮れの公園。
ゾロの両親が揃って他界してしまった日。
いつもの時間に公園に来ないゾロを迎えにサンジが訪ねたゾロの家は大人がいっぱいだった。
皆そろって真っ黒な服を着てあちらこちらで話をしている。
異様な空気に気持ち悪くなってサンジはゾロを迎えに来たのも忘れて公園へと戻っていった。
「ゾロ・・・。」
キイキイと小さな音を立てて動くブランコに小さな緑の頭を見つけてサンジは駆け寄る。
ゾロはさっきゾロの家で見た大人達と同じように真っ黒な服を着てブランコに腰掛けていた。
「ゾロ!!」
駆け寄ったサンジが大きな声で名前を呼ぶと、ビクリとゾロの身体が揺れてポタンとそのむき出しの膝小僧に水滴が落ちた。
「ゾロ・・・?。」
ゾロのブランコの鎖に手を掛け正面に立ちはだかったサンジをゆっくりとゾロが見上げてくる。
綺麗なルビーの瞳に涙がいっぱい溜まっていて、その顔は通っている幼等部のマドンナより可愛くて綺麗だとサンジはドキドキと胸を高鳴らせた。
「父さんと母さんが・・・。」
ゾロが瞬きをする度にその目からポロポロと綺麗な涙が零れ落ちる。
何度も喉を詰まらせながら繰り返すゾロの言葉から、幼いサンジに分かったのはゾロがたった一人になってしまったということだけだった。
「コック、どうしよう。」
だから困惑したように呟いたゾロにサンジは任せとけとばかりにドンと自分の胸を叩いた。
「よし、結婚しようゾロ。そうすれば一人じゃないよ。」
にっこりと笑いかけたサンジにゾロがパチパチと瞬きを繰り返す。
「俺・・・男なんだぞ?。」
「そんなの関係ないよ。」
サンジはそういってそっとゾロの手を握り締めた。
「俺、ゾロのこと好きだし、一生大切にする。」
真剣なサンジの眼差しに、ほんの微かに笑みを浮かべたゾロがコクンと首を縦に振る。
その仕草の可愛らしさと、嬉しさに、サンジは満面の笑みを浮かべて初めてゾロの唇にキスをした。
「あの後、チュウしたんだよなあ。」
ポツリと呟いたサンジにゾロの眉間に皺がくっきりと寄る。
「あれさ、あんたのファーストキスだったんだよねえ?」
クククっと楽しげに笑っているサンジにゾロはますます眉間に皺を増やす。
確かにあれがゾロのファーストキスだったのだ。
女好きを公言してはばからないサンジは自分の事なら男とのキスなどカウントにも入れそうにないが、他人事ならばとしっかりとカウントに入れるところがこの男らしいとゾロは心の中で突っ込みを入れる。
元々キス魔に近かった幼いサンジに、その日からしばらく事あるごとにキスされまくった。
おかげでゾロのキス体験はファーストどころかセカンドもサードも全部サンジだ。
さすがに変だろうとゾロが気付き始め、やっとサンジのその悪癖が止まったのは小等部に上がってすぐの事だった。
「お加減さんでな。」
疲れたようなゾロの呟きに少しは溜飲が下がったのか、サンジが咥えていた煙草の灰を手にしていた携帯灰皿に落とす。
ニヤリと笑って煙草を咥えなおした唇をぼんやりと眺めて、そういえば挨拶のようなキスでもサンジにされたのは久しぶりだったなとゾロは思う。
「何?そんなにじっと見てさ。俺ってそんなにいい男?」
にやにやと笑って言われた言葉にゾロは呆れたような目を向ける。
「その変な形の眉さえなきゃあな。」
ゾロの言葉にピクリと話題された眉が寄る。
中学に上がるまでは何度となく喧嘩の原因の一つになっていた変わった眉の形を揶揄られてヒクリとサンジの唇の端が釣りあがる。
変わった形の眉はサンジのチャームポイントでもあるがウィークポイントだと本人は思っているらしい。
ゾロはその変な眉を目印になっていいじゃないかと実はとてもアバウトに思っているのだ。
己の頭髪が変わった色で目印になるように。
実際、サンジの身体特徴に眉を入れるとほぼ100%の割合でその本人を見つけることが出来る。
「ハッ、頭で苔を養殖しているようなヤツに言われたくないね。」
煙を吐き出し鼻で笑ったサンジにゾロはヤレヤレとばかりに肩を竦める。
呆れたような顔になったゾロに気付いたサンジがワザとらしくコホンと一つ咳払いした。
「・・・で、いつ頃生まれそうなんだ?子猫。」
ほんの少し目尻が下がり優しい顔になったサンジにゾロも笑みを浮かべる。
「病院に連れてったわけじゃねえからはっきりした日にちはわかんねぇ。ただサンジの腹を触ったら中で動いてんのが分かるんだ。」
ゾロの説明にサンジが目を丸くする。
「おい・・・それってもう生まれる前なんじゃねえのか?」
「あ?・・・そうなのか?」
首を傾げたゾロに仕方ねえなあとばかりにサンジが苦笑する。
サンジ自身ペットを飼ったことはないが、付き合っていた彼女のうち何人かは猫やら犬やら飼っていて出産の話を聞いたこともあったし、子供達の世話についての知識も多少はある。
「生む為の場所作ってやらねえと・・。ゾロ、今日はあと何限だ?」
「あっ・・・・今やってる分で終わりだった。」
チラリと時計を眺めてゾロはしまったと小さく呟く。
その顔を苦笑しながら見つめてサンジは椅子から立ち上がった。
「なら、帰っちまおうぜ?」
「お前の方は?」
「代返頼んどく。」
ゾロが止めるまもなく携帯を取り出して話を始めたサンジに軽く溜息をついて湯飲みを洗いに奥に向かう。
片付けて戻ってくればすでに電話が終わったサンジが空になった弁当の包みを持って立っていた。
「さ、行こうぜ。」
「・・・・ああ。」
サンジに促されるままにゾロは部室を後にしたのだった。
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