◇◆ 影鬼 ◆◇
そこは、小さな島だった。
半径が2キロにも満たない、海岸線をグルリと歩いても半日もかからない。
それはとても小さな無人島だった。
「綺麗なところね・・・。プライベートビーチって所かしら。」
島の中央に向かって草原が広がり、小高い丘の上には巨木が天に向かってそびえ立つ。
いくつか点在している樹木には甘い香りを放つ実がなり、それを食べに海鳥達がやってくる。
サラサラの白い砂浜を裸足であるけば足元でキュキュと砂が鳴く。
群生している珊瑚の間を目にも鮮やかな魚達が通り抜けていく。
「あちらの諸島には人が住んでそうよ。商船の出入りを確認したわ。」
海岸から小さく見える島を指差してロビンが呟く。
「ここには人は来ないんだって、海鳥達がそう言ってる。」
チョッパーが手を振って海鳥に別れを告げると鳥達は頭上を旋回し海の方へと飛んでいく。
それを見送ってチョッパーは続けた。
「ここはお墓なんだって。」
「え?・・ここが?」
こんな綺麗なところがお墓だなんて、そうナミは思いながら穏やかな景色をみつめる。
だからこそ逆に人の手も入らず自然のままで美しいのかもしれない。
飛び去ったはずの海鳥が一羽ふわりと枝に舞い降りる。
そして何事かをチョッパーに告げると舞い降りた時と同じように唐突に飛び立った。
「ええ!?ちょっと待ってよ!!」
力強く羽ばたいた鳥はあっという間に飛び去ってしまう。
チョッパーはあわあわと意味不明の動きを繰り返した。
「どうしよう!」
悲鳴のようなチョッパーの声にただならぬものを感じてナミとロビンの視線が集中する。
先程の穏やかな空気もなりを潜め、チョッパーは泣き出さんばかりに口を開く。
「此処、『 Dream Island 』だって・・・・。」
「夢の島?」
「なんですって。」
チョッパーの言葉にサッとロビンの顔色が変わる。
その二人の様子にナミは眉を顰める。
「大変だわ、航海士さん。すぐに此処を出ましょう。」
「うん、俺、皆を呼んでくるよ。」
「え?・・・ちょっと、チョッパー。」
四つ脚に変化して走り去ってしまったチョッパーを呆然とナミは見送る。
その腕を掴んで船へと歩き出したロビンに文句を言おうとしてその表情に口をつぐむ。
あのいつも冷静なロビンが厳しい表情で焦りの色を浮かべている。
先程の言葉の意味を問いただしたいけれど、今はその時ではないとナミの勘が告げている。
強引にだが、丁寧に船に戻されてナミはロビンと一緒に出航の準備に取り掛かった。
きっと出航してしまえばロビンもチョッパーも慌てたその理由を教えてくれるだろう。
「ロービーン。ナーミー。」
蹄を鳴らしてチョッパーが砂浜を駆けてくる。
その背にはルフィが乗せられ、その後ろからは砂埃を巻き上げたウソップが走ってきていた。
「ヤバイ!!ナミ、船を出せ!」
ロビンの能力を借りて一気に甲板に降り立ったウソップが強張った表情でナミに告げる。
チョッパーの背から甲板に落とされたルフィはぐったりとしてピクリとも動かない。
「でも、まだ、ゾロとサンジくんが。」
食材を求めて降りたサンジと、それに付き合わされる形で同行させられているゾロが戻ってきていない。
「いいから、とりあえず出せ!!」
ナミに怒鳴りつけるように言って船を動かし始めたウソップに驚きを隠せない。
よく見ればその手は微かにブルブルと震え、身体全体も小刻みに震えている。
「ウソップ・・・?」
「いいから、今は長鼻くんの言うとおりに船を出しましょう、航海士さん。」
「・・え、ええ。」
精力的に出航の準備を整えるウソップとチョッパーも無言で説明を口にする様子はなかった。
ロビンの能力の協力を得て少しずつメリー号はその島から離れていく。
ナミはいまだに甲板に放り出されたままになっているルフィへと目を遣る。
その様子も気にはなったが、沖に出てしまえば他の誰にもこの船を動かせない。
海流の流れを読み、ナミは船を安全に進めるため、航海士としてクルーに指示を出す。
ナミはちいさくなっていく島から無理やりその視線を外したのだった。
やがて島から見えていた諸島が大きくなり、出てきた島が小さく彼方に見え始める。
何かに追い立てられるように島を離れ、沖を目指していた仲間にすこし緊張の糸が緩んだのを感じてナミはそっとラウンジへと足を運んだ。
いつもサンジがしてくれていたようにお湯を沸かし紅茶を入れ、そして仲間に声をかける。
「お茶が入ったわよ。みんな、休憩にしない?」
ナミの声にチョッパーがホッとしたように笑みを浮かべる。
人型になりルフィを担いでラウンジに入ってきたチョッパーの後ろからロビン、ウソップと姿を現す。
各自の前にカップに注いだ紅茶を振舞い、ナミは何と言って切り出すべきなのか悩みながら自分の席に腰を下ろした。
「どういうことか話してくれるわよね?」
温かいカップを口に運びナミは誰にともなく問いかけた。
「ええ・・・航海士さん。」
固いけれどそれでも笑みが戻ってきたロビンにホッとしながらその続きを待つ。
「まず、船医さんと私が知ってる『 Dream Island 』の意味の説明をするわね。」
カチャリと音をたててソーサーにカップが戻される。
一つ深い息を吐き出すとロビンは静かに口を開いた。
「『 Dream Island 』とは夢の島。グランドラインにいくつも存在しているその島は、人々の間でそう皮肉を込めて呼ばれているの。」
唇を歪めてロビンはチラリとチョッパーへと視線を向けた。
「夢の島は別名『 Eternity Sleeps Island 』永遠に眠り続ける島。つまり生者の存在しない島の事を言うのよ。」
「海鳥が言っていたお墓っていうのはそういう意味だったのね。」
「ええ、そう。この島の特徴はいくつかあるのだけど、共通点があって人は絶対にこの島に存在できないのよ。」
「そうなんだ。夢の島は俺達動物にとっては楽園なんだけど人間はそこで生きていくことが出来ないんだ。」
チョッパーの言葉にハッとナミが顔を上げる。
人間の生きていけないようなそんな島に今この船のクルーが二人取り残されている。
「ナミ、とりあえず最後まで聞いて。」
ガタンと派手な音をたてて立ち上がったナミに宥めるようなチョッパーの声がかかる。
そっと生えてきたロビンの腕に促されてナミは静かに腰を下ろした。
「別にすぐに死んじゃうってわけじゃないんだよ。さっき、ナミも見たように食料も豊富だし、気候もいい、外敵も居ないしね。」
「ええ、足を踏み入れた人すべてがすぐに死んでしまうような場所なら、私達も無事じゃないわ。」
「それじゃ・・・ふたりは・・。」
「生きてる・・・。」
不安に揺れたナミの声にはっきりとしたウソップの答えが返る。
テーブルに着くなり一言も喋ることなく聞き手に専念していたウソップが重い口を開いた。
「ここからは俺が話をしたほうがいいな。」
いつにない静かなウソップの語り口にナミは知らず体を緊張に強張らせた。
「俺も途中からしか知らない、多少違うかもしれないがそれは許してくれ。」
ルフィに引き摺られるようにして上陸したウソップは穏やかな気候とその島の綺麗さに満足気に散策を続けた。
あちらこちらに点在している花の見事さにあとでスケッチブックを持って来ようと思いながらのんびりと歩を進める。
久々に落ち着いて休めそうな島に着けて良かったとこの時はそう思っていた。
だから一瞬、目の前で行われているそれがなんなのかわからなかった。
「止せ!サンジ!!!」
引き絞るような諫める声と、目の前に降り立った赤い何かが激しい音をたててぶつかりあう。
「ルフィ!!」
上段から振り下ろされた長い脚を交差させた腕で受け止めたルフィがチラリとウソップに視線を寄越してくる。
「ウソップ、こっちだ!」
駆け寄ってきたゾロに腕を掴まれ、状況が把握できないながらも危険を感じて走り始める。
はあはあと激しい息遣いに目をやったウソップはその時初めてゾロがあちらこちらに傷を負っていることに気付いた。
「ゾロ・・。」
走りながら問いかけたウソップにゾロは黙って走れといわんばかりに速度を上げる。
背後では激しい打撃音が後を追うように近付いては、また遠ざかっていく。
訳が分からないながらも迫る恐怖に足はスピードを上げる。
「ウソップ、こっちだ。」
何かを見つけたのかゾロが急に方向を変え木立を掻き分けて行く。
倒木らしき根元が深く抉れ、人一人隠れるだけの穴が空いている。
「いいか、俺かルフィ、それか他のクルーが来るまで隠れてるんだ。」
ウソップを押し込めるようにして周囲にあった枯れ枝や落ち葉でその穴の周辺を目立たないように埋めていく。
そのゾロの動作を見ながらウソップは必死で声を出した。
「何があったんだよ、ゾロ?ルフィはなんでサンジと戦ってるんだ?」
ウソップの問いかけにゾロがかすかに唇を歪める。
最後の落ち葉をかぶせる為にしゃがみこんだゾロはウソップを安心させるかのように笑みを浮かべた。
「ルフィに加勢に行って来る。大人しく隠れてるんだ。」
「待って!待ってくれゾロ。・・サンジは?サンジはどうしちまったんだよ。」
その悲しみと憤りを宿したゾロの瞳にウソップは必死で問いかける。
ぱさりと葉擦れの音がしてウソップの視界は仮初めの闇に閉ざされた。
『アイツは・・・・。』
静かなゾロの呟きはその足元で音をたてた枯葉の音に掻き消されウソップの耳には届かなかった。
そしてその音を最後に静寂が辺りを満たす。
いつまで待てばいいのか、本当に迎えは来るのか・・・ウソップはチョッパーに声を掛けられるまで、ただひたすら自分が見た光景を思い起こしては自問自答を繰り返していたのだった。
「チョッパーに声を掛けられて、ゾロを探しに移動したんだ。」
ウソップはそう言って頷くチョッパーに同じように頷き返してやる。
「ゾロとサンジの匂いはその場所から遠くて、まずは近くにいるはずのルフィのところへって思って・・・俺とウソップはそっちに行ったんだ。」
「そこにルフィが意識を失って倒れてて、ゾロの刀も2本落ちてた。。」
ウソップの視線が壁に立て掛けられている雪走と鬼徹へと向けられた。
そして、その時の事を思い出したのかウソップの表情が固く強張る。
「ルフィを拾った場所はゾロに連れられて離れた場所とそっくりなのに・・・あの時、サンジの蹴りで大きな音をたてて砕け散った大岩はそのままだったし、俺が見たときに薙ぎ倒されていた幾本もの樹もなかった。」
ウソップは離れた場所に寝かされているルフィへと目を向ける。
「ルフィの意識はないけどさ、何処にも怪我らしいものも見当たんないんだよ。服だって綻びの一つもないしさ。」
「うん、後できちんと診察するけどルフィは怪我とか全然してないんだ。意識は戻ってないけど。」
チョッパーはそう言って溜息をつく。
「で、ゾロと、サンジくんは?生きてるって断言したってことは、その後ふたりを見たのよね?」
ナミの問いかけにウソップは頷くと視線をテーブルへと戻し話し始める。
「チョッパーの背にルフィを乗せて刀も拾ってさ、とりあえずゾロと合流しようと思ってそっちに向かって行ってみたんだ。・・・・俺なんかが言っても足手まといになるだけだって分かっていたけどさ。」
重苦しい沈黙が室内を満たす。
「チョッパーが血の匂いがするって言うから、出来るだけこっそりと隠れて様子を伺おうと樹の影から二人で覗いてみたんだ。」
「・・・・でも・・・俺達すぐにサンジに見つかって。」
「咄嗟に逃げたんだけど・・・サンジのヤツ。」
ウソップはブルリと身を震わせた。
「サンジ、笑いながら追いかけてくるんだ。・・・・唇とか手とか真っ赤に染まってて・・・。本当に楽しそうに、嬉しそうに俺達を追いかけてくるんだ・・・。」
その情景を思い描いてナミはゾッとして身を固くする。
「きっと、あの時サンジは遊んでたんだと思う。すぐには追いつかれなかったから。」
チョッパーの声にウソップもかすかに頷く。
「ああ、多分そうだろう、俺もそう思った。」
「・・・・・・・・。」
「追いつかれて、サンジの腕が俺等を引き裂く為に伸びてきたんだと覚悟を決めた時、刀を抜いたゾロが俺達とサンジの間に飛び込んできてくれたんだ。」
「ゾロは・・・、かなり酷い怪我をしているみたいだった。」
「・・・・俺達は、ゾロにそっから逃がされたんだ。『帰ったら、すぐに船を出せ』って、叫ぶゾロを置いて・・・言われたからって、本当に置いてきちまうなんて。」
グッと唇を噛み締めたウソップになんと声をかければいいのか分からずナミも黙り込んでしまう。
「長鼻くん、貴方が悪いんじゃないわ。」
優しいロビンの声にウソップとナミの顔が向く。
ロビンは首を縦に振ると今度は私の番ねと言って口を開いた。
夢の島は永遠の眠りの島。
それはそこで人が暮らすことが出来ないことを皮肉って人々が呼び始めた名前。
だが、それは一部の真実を孕む。
そこに神の意思が宿るのか、それとも魔王の意思の戯れか、この島は眠り夢を見る。
まるで生きているように眠り続け、夢を見続ける。
だからこそ、島は人を拒絶するのだ。
自らを変えていく可能性のある人という命を。
「この島に掴まらない方法はいくつかあるの。」
そういってロビンは静かに続けた。
「立ち寄っただけなら何の問題もないわ。他にも、この島で水を飲んだ人もなんら問題は起きていないわ、落ちた木の実を食べてもね。」
「・・・・・・。」
「この島でのもっともしてはならないことは『命を摘み取ること』。小さな虫の命でも枝に茂る葉の一枚でも、島を構成している命の欠片を摘み取ることは絶対にしてはならないことなの。」
ロビンの説明にナミは青い顔をますます強張らせる。
まさしくサンジとゾロはそのタブーを行うために島に降りたのではなかったのか。
「それじゃあ・・・。」
「ええ、コックさんか、剣士さん、二人の内どちらかが、または二人ともがこのタブーに触れたって思った方が良さそうね。」
「・・俺が話をしたゾロは普通だ。サンジだけじゃないのか?」
ウソップの疑問にもっともだと思いながらナミはロビンの言葉を待つ。
「ええ、その可能性の方が高いとは思うわ。でも、二人ともタブーを侵している可能性も否定できないの。なんにせよ、最悪の事態は考えていた方がいいと思うわ。」
静かな自らに言い聞かせるようなロビンにナミの縋るような眼差しが向けられる。
「今夜一晩だけ様子を見て、明日もう一度あの島へ行ってみましょう。ただし、上陸は船医さんだけしかできないわ。・・・いい?船医さん。」
ロビンの問いかけに力強くチョッパーが首を縦に振る。
「本当は咲かせてついて行きたいのだけれど・・。」
「それは駄目だ。」
きっぱりと言い切ったチョッパーにやっぱりとロビンが小さく溜息をつく。
「悪魔の実のせいで俺だって完全なトナカイとは言えないんだ。出来るだけ安全に二人を探すなら俺一人で行ったほうがいいんだ。」
「チョッパー・・・。」
チョッパーはにっこりとナミとウソップを安心させるように笑顔を向けた。
「大丈夫。きっと二人を連れて帰るよ。」
帆をたたみ、停泊する為に錨を下ろす。
ナミとロビンで夕食の準備をする間にウソップは船の点検に向かい、チョッパーはルフィの診察を済ませる。
簡素な食事を全員で取り、見張りは俺がやると言ったウソップを残して各自部屋へと戻っていく。
とりあえずは、明日。
日が昇ってから・・・・そう一人ひとりが自らの心に言い聞かせながら。
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