目覚めた場所は闇の中だった。

上も下も右も左もわからない。

目の前に翳した己の手さえ見えないほどの濃厚な闇。



暗闇。



油断すれば泥のような眠りに誘うその手を振り切ってゾロは必死で歩き続ける。

前に進んでいるのか、深く沈みこんでいるのか。

己が何故ここにいるのかも分からない。

何時間、いや、何日経っただろう。

ただひたすらにゾロは闇の中を歩き続ける。



その視界に不意に触れるものがあった。

闇の中、必死で伸ばした指先に触れたそれをゾロは無我夢中で引き寄せる。

暗闇の中、ゾロが引き寄せたのは暖かな光と優しい声だった。








<1>




「おい、お前。」

頭上から降ってきた声にゾロは閉じかけていた目をうっすらと開いた。

「ガキ、お前のことだよ。」

霞む目に飛び込んできたのは見たこともないような鮮やかな色。
ゾロの目の前の樹木からその金の長い尾が垂れ下がっていた。

「・・・・?」

視界の中で揺れる金の尾に、いったいどんな鳥だろうと必死で頭上を振り仰ぐ。
ゾロは血塗れで、その綺麗な金色の持ち主と比べてボロボロで汚らしいはずだ。
そんな転がる自分に声をかけてくるのはどんな酔狂な奴なんだろうと興味もあった。

「おーい、ガキ。お前の名は?」

どうせ死んでしまうなら最後にひと目その姿を見ようと身体を動かしてみた。
後で思えばここで動くのは自殺行為だったのだとゾロは知ったのだけれど。
薄暗さを増した視界の隅でキラキラと輝いたそれはゾロには天からの使いのように見えた。
ゾロ・・・・、小さく呟くように口にしてゾロの意識は闇へと飲み込まれていったのだった。











草原の近くに倒れている木の洞。
生い茂る木陰を渡る風は瑞々しい葉の香りをそこに運んでくる。
灰色狼のテリトリーの近くとあって、この辺りを寝ぐらにしている動物はほとんどいない。
そしてその木の洞には変わり者の珍しい鳥が一羽で住んでいるだけだった。




トナカイの医者がベットに沈むゾロに聴診器をあてたり、脈を図ったりと忙しく動きまわっている。
本人は意識していないのか、その動きにあわせてゾロの視界でピョコピョコと小さく尻尾が動いていた。
その小さな動きに誘われて無意識にゾロの尻尾がパタンと揺れた。

「こーら、ゾロ!」

ニョッキリと出した爪でその尻尾にちょっかいをかけようとしていた腕を横から伸びてきた翼に遮られる。

「にゃんじー。」

パサリと視界を塞ぐように広げられた金の翼にゾロは慌てて爪を引っ込めたが、勢いのついた手は止まることなくそのままサンジの翼に当たる。
温かいぷっくりとした肉球の感触にチラリと目を向ければ慌てて手を引っ込める。
耳をペタリと伏せてビクビクと様子を伺ってくるゾロの様子にサンジは苦笑した。

「この前同じ事をしてチョッパーに蹴っ飛ばされたのを忘れたのか?」
「にゃんじー。」

生後二週間も経っていないゾロをサンジが見つけたのは偶然だった。
普段狩りにも行かないあの場所を通ったのも偶然なら、密集した木立に遮られることなくゾロを見つけたのも偶然だった。
てっきり死んでいると思ったゾロがまだ生きていて、その血塗れの小さな毛玉にトドメを刺さず連れ帰ったのはただの気紛れだったけど。
発育が遅いのか、なかなかサンジと発音できないゾロにやれやれと笑みを浮かべる。
ゾロの名前も『にょろ』と始め思っていたぐらいなのだ。

「あ!、ゾロ、ダメだぞ。」

サンジの言葉にチョッパーが慌てて自分の尻尾に手を宛てて隠す。
やっと動けるようになったばかりのゾロにじゃれつかれて、その蹄で蹴り飛ばしたのは二日ほど前の出来事だったのだ。
そのせいで治りかけていたゾロはベットへと逆戻りしてしまい、医者として治療に来ているにも関わらず、逆に怪我を悪化させてしまったことにチョッパーは少なからず責任を感じていた。

「俺の後ろに来ちゃダメだぞ?蹴っちゃうからな?」

大真面目にゾロに注意してからチョッパーは鞄から取り出した薬草をサンジ渡す。

「これ、解熱と化膿止め。解熱の方は煎じて一日三回飲ませてね。」

チョッパーの言葉とそれを受け取るサンジを嫌そうな表情見つめ、頭まで布団にもぐりこんだゾロに二人は笑う。

「ご苦労さん、チョッパー。あっちにお菓子とジュース用意してあるから食っていってくれ。」
「え、いいのか?ありがとう、サンジ。」

エエエ・・・と特徴のある笑い方をしてチョッパーは嬉しそうに身体をくねらせた。
鞄に使った包帯や薬の瓶を詰め込んでいそいそと部屋を出て行く。
その背を見送ってサンジはベットの小山に声をかけた。

「ゾーロ、ほら、お前も飯だ、出て来い。」
「いにゃー。」

ここで無理にゾロを引き剥がせば細く針のように尖った爪で寝床が切り裂かれてしまう。
サンジは仕方ないなと笑った。

「ふーん?それじゃ、ゾロはご飯いらないんだな?」

サンジはちょっと意地悪く続ける。
その声に布団の端からちょっとだけ耳が覗いてピクピクと動く。

「せっかくお前の好きな木の実が手に入ったからデザートにケーキ焼いてやったのになぁ。俺は食べないしなぁ。」

木の実のケーキはゾロがここに来て初めて食べたものなのだ。
まだ肉や魚は寄生虫の心配があるから食べられなくても、木の実を粉末にして作ってあるこれならば食べても大丈夫だろうとチョッパーに言われた。
警戒を顕わにしていたゾロに投げやりに与えてみたところ凄まじい勢いでそれに齧りついた。
食べることで身体も回復していく。
そしてそれを切っ掛けにゾロはサンジから与えられるものは警戒なく食べるようになった。
チョッパーが飲ませるようにと処方した薬湯もサンジが見ていればイヤイヤでも口にする。
そんなゾロのご褒美にと作ってあるケーキは蜂蜜をつかってたっぷりと甘くしてある為サンジの口にはあわない。

「仕方ない、チョッパーに残りも持って帰ってもらうか。」

サンジはそう言うとクルリとゾロに背を向ける。

「にゃだ!!」

そのゾロの声ににんまりと笑ったサンジは悲しそうな顔を作ってチラリと振り返る。
布団の端からぴょっこりと顔を出したゾロが不満そうにサンジを見ている。

「だって、ゾロ、ご飯いらないんだろう?」

ゾロはその問いかけにしばらく考えた。
サンジの作るご飯はとっても美味しいのだ。
食べられないと思うと悲しくなってくるぐらい大好きなのだ。
でも、食事をした後に飲まされる苦い薬が嫌で食べたくないのも本当。
そして、ゾロの好物の木の実のケーキは、薬を飲まないとサンジは絶対食べさせてくれないことも知っていた。

「あ、チョッパーが帰っちまう。」

サンジはそう呟いてゾロをベットに置いたまま部屋を出て行こうとする。
ゾロはその背に咄嗟に飛び乗ると爪を出さないようにしてしがみついた。

「よーし、食うんだな?ゾロ。」

にっこりとサンジに笑顔で言われてゾロはううーと唸ったままコックリと首を縦に振った。
苦い薬と美味しいサンジのご飯。
ゾロは天秤にかけサンジのご飯をとることにした。
きっと苦い薬のあとは、甘いケーキを食べさせてくれる。
それにチョッパーがさっき教えてくれたのだ。
元気になったらもう苦い薬は飲まなくてもいいと。
そして元気になるにはご飯をしっかり食べなくてはいけないと。

「にゃんじー、ごあん。」

現金にも食べると決めたら催促を始めたゾロにサンジは笑う。

「しっかり食べて早くよくなろうな。」
「うにゃ。」

クスクスと笑って背にゾロを貼り付けたままサンジはキッチンへと歩き始めた。




食事が終わり、満足そうにサンジに纏わりついているゾロを布団に押し込めて絵本を開く。
ゾロが寝付くまでこうして絵本を読んでやるのがここ数日のサンジの日課だった。

「・・・魔法使いはその手の杖を1回、2回。・・・・寝ちゃったか。」

くうくうと寝息を立て始めたゾロにサンジは微笑む。
眠っているのが仕事のような小さなゾロ。
その小さな身体を引き裂いたような大きな傷跡も、毛が生え揃えば隠れて見えなくなっていくだろう。
サンジはそっとゾロの頭を撫でた。
そして手にしていた絵本を静かに閉じる。
この絵本はサンジが小さかったときに同じように読んでもらったものなのだ。
まさか残っているとは思わなかったよなとサンジは照れくさく思う。

「もう少し元気になったら言葉も練習しないとな、ゾロ。」

緊張感の欠片もない安心しきった表情のゾロに静かに話しかける。
ゾロという名前が聞き取れなくて、サンジがニョロと呼びかけたときの顔はたいそう間抜け面だったと今思い出しても笑ってしまう。
ゾロと名前がはっきり分かるまで、サンジはゾロをニョロと思っていた。
だから処置中、チョッパーとサンジとで『ニョロ』とゾロの耳元で連呼していたのだ。
瀕死の状態で、治療中のゾロが最後まで意識を保つことが出来たのはサンジに変な名前を付けられたと誤解して憤慨していたおかげだろうとチョッパーは笑った。
実際目覚めたゾロが一番初めに言った言葉は『ゾロ』。
それも微妙に『ぞにょ』と聞こえたのだが、ギラギラと怒りを宿しているようなその目に、自分がゾロの名前を聞き間違っている事に気付いた。
サンジがまともに聞こえた部分を両方を統合させて『ゾロ?』と聞き返してみるとゆっくりと瞬く。
その後、自己紹介の時間もなく意識を失ったゾロをチョッパーと二人で徹夜で看病したのだ。
小さい割りにプライドは高いし、結構我儘で甘えたがりなゾロにサンジは苦笑する。
自分の名前を間違えられたのは腹立たしかったらしいが、そのゾロもいまだにサンジのことを『にゃんじ』としか呼べないし、チョッパーのことも『にょぱ』としか呼んでいない。
一応、サンジとチョッパーときちんと名前は覚えているようなのだが。

「早く元気になれよ。」

柔らかな手触りの頭を撫でてやるとふにゃりと嬉しそうに笑う。
サンジはもう一度ゾロを撫でると静かにその場を後にする。
ゾロが目覚めたらまた食事を取らせてやらなければいけない。
サンジはバサリと大きく翼を広げると晴れ渡った空へ向けて大きく飛び立ったのだった。




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第二章 【捕食する者される者】