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  上横野と下横野地区の氏神様で、両地区の
 境界付近「イラストマップ(204 Kb:jpg)を見る」
 にある神社です。

  毎年10月17日の秋祭りに舞われる獅子舞が、
 岡山県の重要無形文化財に指定されています。
  秋祭りでは、獅子舞の外に、御輿や小学6〜5年
 生の女の子が演じる浦安の舞が奉納されています。






高田神社の獅子舞の由緒



  和銅6年(昭和52年起算で1270年前)に
 美作国府が、今の津山市内の総社に置かれて、以
 来、毎年9月9日(旧暦)に、元国幣中社の中山
 神社並に津山市二宮、高野神社を始め、美作十一
 社の神々が総社宮の客社に神幸した。

  此の御神幸は天正年間(昭和52年起算で415
 年前)豊臣秀吉が天下を統一した時、一時中止と
 成ったが、再び御神幸される様になり、美作国府
 の廃止に至る迄、行われた伝えられている。 

  高田神社獅子舞は、いつ頃どの地方から入って
 来たものか経路は、判明出来ないが(岡山県無形
 文化財審査委員、岡長平先生の研究発表では、
 大昔出雲国、大国主大神が、獅子舞を広く永遠に
 残し度いと、東国及南国方面に行事指導された。)


  獅子頭(ししかぶ)と呼ばれる二人の獅子総指揮者の誘導によって、雄雌の獅子が勇壮な
 闘争をくりひろげ、悪魔不浄を追い払うものとして信仰され、文化、文政の頃から明治年間
 にかけて最も全盛を極めた。

  獅子頭という制度は全国的にも例がなく、昔は美作地方の獅子舞に対して強い権限をもち、
 津山市一宮、元国幣中社、岡山県苫田郡加茂町軒戸神社等には、この獅子頭が出向かなけれ
 ば獅子舞を演ずる事は勿論、獅子形面を神庫より搬出する事も一切許されなかった程の特権
 と格式と誇りをもち、この獅子頭と呼ばれる制度が今日まで伝わっている。

 高田神社の獅子舞は、岡山県重要無形文化財として昭和32年5月21日指定されました。

(この内容は、高田神社発行の獅子舞の”由緒”についてのパンフレットを元に作成しました)

 ・詳しい「獅子舞の様子を見る」ならクリック

 ・ 〃 「御輿の様子を見る」ならクリック

 ・ 〃 「浦安の舞いを見る」ならクリック






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