好 き
果物は好きだ。
その中でも桃は好物と言っていいかもしれない。
食べたときのみずみずしい歯ざわりと、口に広がる甘い香りが好ましい。
食べ終わった後もしばらく薫りが残るのも嫌いじゃない・・・。
買出しの途中、甘い香りに誘われて思わず立ち止まった軒先にはほんのりピンクに色付いた桃。
それは綺麗な丸じゃなくて、自分の握った拳より小さくて少しいびつな形をしていた。
「形は悪いけど甘いよ。」
無言でそれを見つめていた事に気付いた店主がニコニコと愛想よく声をかけてくる。
三本刀に目つきの悪い俺が客になるとは思えないだろうに・・・。
それともこの背負った大量の荷物で客になると踏んだのだろうか?
「いや・・・俺は。」
タダの荷物持ちだから買えないと断ろうとして、先程まで隣を歩いていた男の姿がいつの間にか消えているのに気付いた。
しまった・・・はぐれた・・・・
ほとんど買い物が終わっているようなことを言っていたような気もするが、きっと会えば嫌味を言われるだろう。
なんとなくぐったりとした気分で溜息を漏らす。
一応、目の届くところに居ないかとグルリと見渡してみるがあの目立つ金髪も黒いスーツ姿も見つからない。
「これは木熟れのもんだから日持ちはしないんだ。」
籠に盛られた桃を指差しながら店主は話しかけてくる。
「よく洗って、氷水で冷やして食べれば美味しいよ。」
確かに風が吹けばよく熟れた果実の甘い香りがあたりに広がる。
店主が言うようにそのまま冷やして丸ごと齧り付けばきっと美味いだろう。
ちょっと残念に思いながら口を開く。
「せっかくなんだが・・。持ち合わせがなくてな。」
それでなくてもナミからは余程の事がない限り小遣い程度の小銭でさえもらえない。
まあ、もらえなくてもその日使うぐらいは現地調達で何とかしているんだが、今日みたいにコックの手伝いとして借り出されていてはその臨時収入さえ得られていない。
日持ちがしないといった店主の言葉を示すように、籠についている値段は普通に売っているものよりはるかに安いようだった。
売れ残ってしまうより価格を下げてその日に売り切ってしまったほうがいいのだろう。
背負っている荷物を不思議そうに見上げている店主に苦笑しながら説明する。
「俺は荷物持ちなんだ。連れがいればきっと喜んだと思うんだが・・・どうもはぐれてしまったみたいで、さっきから姿がみえないんだ。」
「なるほど・・・・この人ごみですからねぇ。」
店主は合点が言ったように頷くとふと思い出したように店内へと引っ込んでいった。
そして次に出てきたときは手にアルミのボールのようなものを持ってにこやかに笑いかけてくる。
「当たり傷があって店に出せない物だから、昼にでも食べようかと思って冷やしてたものなんですが・・・良かったら味見してみませんか?」
そういって差し出された水の張られたボールの中にはほんのりピンクに色付いた桃が二つ浮かんでいた。
店頭にあるのと同じでやっぱり形はいびつで、当たり傷の部分がところどころ茶色く変わっている。
「遠慮しなくていいですよ。品物の味見をしてから買ってもらうのが筋ですからね。気に入ってくれたらお連れさんが来た時にそこにある桃買ってやってください。」
「いや・・・でも・・・。」
「ワタシもお客さんとご一緒させていただきますから。」
その言葉によほど食べたそうな顔をしていたのかと恥ずかしかった。
軒先横の木箱の上に腰を下ろして、少し開けた路地横に荷物を降ろしてこちらに来るようにと手招かれる。
他の客の相手は良いのかと心配してしまうぐらいこの初老の店主はマイペースだ。
少し戸惑いながら近付くとさっそく店主はボールの中から一つ取り出して皮をツルリと剥いていた。
差し示されたボールに遠慮がちに手を伸ばせば氷のような水が指先を濡らす。
キンと冷やされた水の中から残りの桃を取り出せば表皮にある産毛は綺麗に洗い拭われていた。
「うん・・・今年もいい出来だ。」
一口齧って満足そうに呟いた店主の笑顔にお礼を言って同じように皮を剥き一口齧りつく。
歯を立てたときのみずみずしい冷たさと、口に広がった甘い香りに自然に顔が綻ぶ。
「・・・・・・美味い・・。」
滴る果汁を啜り上げて一口一口味わって、種になるまで夢中で貪った。
お世辞じゃなく良く冷やされた桃は美味かった。
先に食べ終わった店主はボールで軽く手を濯ぐと店先に戻っていく。
「ご馳走様でした。」
まだ冷たさの残るその水で同じように手を濯ぎ、再度お礼を言ってボールを店主に返す。
「いえいえ、こちらこそ美味しそうに食べてもらって嬉しかったです。」
その言葉にふと姿の見えなくなった連れを思い出す。
アイツにもこれを食べさせてやりたいなとぼんやり思った。
こういう場合、下手に動くと会えない確率が上がっていくのは今までの経験から良く分かっている。
ここは嫌味の一つも覚悟してコックが俺を見つけるまで大人しくジッとしていた方がいいだろう。
甘えついでに店主に軒先横の先程の木箱を借りて連れを待つことを許してもらう。
快く場所を提供してくれた店主にお礼を言って、荷物を背にして通りを眺める。
俺はその場でいつもの悪態と共にコックが現れるのをのんびりと待つ事にしたのだった。
「おい、迷子マリモ。」
ポカリと頭を叩かれて目を開けるといつの間にかコックが目の前に立っていた。
ぼんやりと通りを眺めているうちに眠気に誘われてウトウトしていたらしい。
「こんな人通りの多い場所でよく寝られるよねぇ。あんた、いい加減自分が有名人だって自覚しなさい。」
心配したんだよ?そう言って髪を優しく撫でられる。
たまに見せる小さな子供にするような、無駄に優しい手を本当は嫌いじゃあない。
「さ、帰るよ?」
いつもの仕草で煙草に火をつけて思い出したように俺の腕を掴んでくる。
そのまま引っ張り起こされて、促されるままに荷物を背負いかけてコックを待っていた目的を思い出した。
「あー・・・・桃。」
「あ?・・・桃?」
軒下にあった籠に盛られていた甘く香っていた果実。
キョロキョロと視線をめぐらせれば店主が困ったように笑った。
「さっきね、売れてしまったんだよ。」
残念だったね・・・そう続けられた言葉に少しだけガッカリした。
場所を借りたお礼とばかりにいくつかの野菜を仕入れて歩き出した金の髪を追う。
そのご機嫌な様子からあの店の品物は、このうるさいコックの目に適ったのだろうと思った。
なら尚更食べさせてやりたかったな・・・とその後姿に思う。
「何、アンタ、そんなに食いたかったの?」
ヒョコヒョコ揺れる後頭部を見ていたのに気付いたのか歩調を落として聞いてくる。
ニヤリと悪戯めいた笑みに俺はゆっくりと首を横に振った。
「いや、俺は貰って食った。」
「ああ、それであんた甘い匂いするんだ・・。」
前触れなく近寄ってクンと鼻を鳴らしクスリと笑ったコックを眺める。
「美味しかった?」
「ああ・・・。食わしてやりたかったと思って・・・。」
「ああ、ルフィ達に?」
食べ物=ルフィという図式が出来上がっているのかそう言ってコックは目を細める。
「いや・・・サンジに・・。」
滅多に呼ばないコックの名前に、呼ばれた当人は口元に笑みを貼り付けたまま奇妙に固まった。
往来で足も止めてしまったので大きな荷物を背負っている俺は通行妨害の何者でもない。
「コック・・・?」
動きそうもないので仕方なくそのままジッと見つめていると、今度はみるみる頬に血の気が上がってくる。
うっすらと白い肌がピンクになって、さっきの桃みたいだな・・・とぼんやりと思った。
「あー、もう、アンタ可愛すぎ!!」
ガシガシと髪を乱して掻き毟ると俺の手を取って今度は早足で歩き始める。
「お、おい?」
グイグイと引っ張られて半ば駆け足のように市場を抜けた。
背負った荷物が左右に揺れて思ったより息が上がる。
何人か荷物でふっ飛ばしたような気もするが許してもらおう・・・。
「・・・おい、サンジ!・・おい、ちょっと止まれって!!サンジ!!」
名前を呼んで静止をかけるとやっと歩調を緩めてくれる。
手はあいかわらずコックに掴まれたままだったが、少し楽になった呼吸に安堵した。
あの角を右に折れればGM号が見えてくる。
少し崩れかけている荷物を軽く揺すって背負い直した。
ここまでくれば一安心と、やっと見覚えのある道に出てほっとしたのもつかの間、何故か進行方向を変えたコックに倉庫の影に引っ張り込まれる。
「うーん・・・・ちょっとだけこっち?」
「おい、帰るんじゃねぇのか?。」
不審に思って声をかければコックは困ったように笑った。
「もちろん帰るよ。そろそろ出航の時間だし。」
「だったら・・・。」
さっきとは逆に手を引っ張って歩き出そうとすると同じだけの力でコックの方へと引っ張られた。
そのまま柔らかく抱きしめられたと思ったら軽く唇が触れて離れていく。
「おい、何考えて・・・・・っん。」
抗議の声を上げようとしたら今度は深く口付けられた。
舌を絡めて、あやすような甘い甘いだけの口付け。
いつの間にか目を閉じて無意識にその感覚を追って、心地よさに酔う。
どれぐらいそうしていたのか暖かな腕が離れてゆっくりと目を開けた。
「美味しかったよ。ごちそうさま。」
蒼い瞳にクスリと間近で笑われて、俺の周りに漂っていた甘い香りがすっかり消えていることに気が付いたのだった。
END
(2005/07/02 UP)
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サンジに最後の『ごちそうさま』が言わせたくて書いたお話です。
もうそろそろ桃の季節ですね(笑