ちょっと拗ねたようなその表情にゾロは小さく溜息をついた。
「なんでだよ。ゾロ。」
煙草を咥えたまま、納得いかないとばかりに口を開くサンジの姿にまた溜息が漏れる。
「俺、そんなに無茶なこと言ってるつもりはないけど?」
フウッと煙を吐き出したその横顔にゾロは困ったように目を向ける。
「無茶だろうが・・。」
「何処が・・。」
速攻でゾロの言葉を遮る子供っぽい態度に苦笑が漏れる。
「好きって言って、キスしてくれって、ゾロにとってそんなに無茶なこと??」
言外に自分は何度もゾロに言っているのにとサンジの態度はいっている。
ゾロはグルリと周囲を見回して、正面に立ったまま駄々をこねていた男を自分の隣に座るように促した。
「悪いが、俺には羞恥心ってのがあるんだよ。」
渋々といった風に隣に座ったサンジの頭を、仕方ないなあという顔で子供にするように撫でる。
「やだ。」
「コック・・・。」
「わかんないよ、ゾロぉ。」
「サンジ・・・。」
ガシッと擬音つきで抱きついてきたサンジにますます困ったようにゾロは溜息を零す。
さて、どうしたもんかと天井を仰いだゾロに静かな声がかかった。
「ゾロ、煙草の火、危ないと思うぞ?」
キッチンのテーブルで薬品の調合中のチョッパーが手を休める事なくそう忠告してくる。
「そうそう、煙草の火傷って痛いらしいわよ。」
広げられた海図にペンを走らせながらナミが続ける。
「根性ヤキとか言ったかしら?」
「痕も残るし、あまりいいものじゃないと思うわ、剣士さん。」
ナミの手元に慣れた手付きでコーヒーカップを置いてロビンがにっこりと笑う。
「・・・そういう問題か?」
ぐったりとしたままとりあえずは忠告どおりにサンジの口から煙草を取り上げ床で揉み消す。
それに恨めしげな視線を向けてきたウソップは見ないことにした。
「で、これの原因のルフィはどこだ?」
キッチンを見回してもいつも煩いその姿は見当たらない。
ゾロの質問にナミは窓の外を指差した。
「マストで反省中。」
「反省・・?」
あの船長にもっとも不似合いな言葉だと疑問を感じていると、その言葉を補足するようにウソップが続ける。
「サンジにマストに縛りつけられたままだ。」
なるほど意識のあるうちに報復だけは済ませたんだなと抱きついて離れそうもないサンジにゾロは苦笑した。
もともとの原因は何でも口に入れようとするルフィ。
得体の知れない妖しげな魚を釣り上げて、サンジに調理を頼んだところまでは良くある話なのだが、魚の種類を調べていたロビンが食べるのを止めようとキッチンに顔を出した時には、すでに調理されたそれは湯気を立てて皿に盛られていた。
ロビンが制するより一瞬早く、ルフィはフォークを突き立てて口に放り込もうとした。
それを慌てて阻止しようと、サンジとゾロも腕を伸ばし、弾かれてフォークから離れたそれは狙いすましたようにサンジの口の中に飲み込まれてしまった。
ゴクンと咄嗟に飲み込んで部屋に沈黙が下りる。
その後、速攻でルフィはマストに縛り付けられ、意に反して大量に摂取してしまったサンジはその魚の効果で性質の悪い酔っ払い状態だ。
もともと味見として体内に入れていた量と、ルフィの口に運ばれようとしていた量。
明らかに後者の方が大量だった。
「ゾ〜ロ〜、ちゅうぅ〜。」
がっしりと容赦のない力で抱きついて近付いてくる顔を片手で押しのけてゾロは本日何度目かの溜息をつく。
「嫌だって言ってんだろうが・・。」
それからずっとゾロは酔っ払いの相手をさせれている状態に近いのだ。
疲れたように呟いて、押しのけたゾロはサンジの顔を見てぎょっと固まった。
蒼い目からポロポロと涙を零し、子供のような顔のままサンジが泣いているのだ。
「え・・?、クソコック。ナ、ナミ、ロビン!!」
えっくえっくとしゃくり上げて泣き始めたサンジにお手上げとばかりにゾロは女性陣に助けを求めた。
そのゾロの表情があまりにも必死だったのか、サンジの泣き顔に興味をそそられたのかナミとロビンが呼ばれるままに近寄ってくる。
「サンジくんって泣き上戸なのかしら?」
「コックさんが酔ったのって見たことないわ。」
イヤイヤとゾロにしがみついて泣いている頭を二人の手が交互に優しく撫でていく。
何度かそれを繰り返されると泣き声が少しだけ静かになった。
それにゾロがほっと息をつく。
「サンジくん、ゾロが困ってるわ、少しだけ離れてあげてね?」
小さな子供に言い聞かすように優しくナミが声をかける。
イヤイヤと首を横に振ってサンジはますますゾロにきつく抱きつく。
「ゾロは逃げたりしないわよ。いい子だから少しだけね?」
その頭を優しく撫でてナミはもう一度サンジを促した。
しぶしぶといった風にゾロを離したサンジにロビンが優しく微笑みかける。
「いい子ね、コックさん。」
誉められたことが分かったのか、サンジはにっこりとナミとロビンに笑いかけた。
その様子にほっと胸を撫で下ろしたゾロはきつくなってきた風の音に神経を向ける。
ナミがこの場にいるということは嵐というほど酷いことにはならないのだろうが、マストに縛られたルフィは大丈夫だろうか。
出来るだけサンジを驚かせないようにゾロは静かに立ち上がった。
サンジの興味がナミとロビンに向いているのを幸いにこっそりと扉に向かおうとそちらへ顔を向ける。
そして、一歩を踏み出そうとしてサンジに腕を掴まれた。
「ゾロ・・・・・・・・何処に行くんだ?」
先程までの幼い言葉使いから、いつもの言葉使いに戻っている。
酔いが醒めてきたのかと、安心してゾロは俯いているサンジの問いに答える。
「風が出てきたみたいだから、ルフィを降ろしてやらねぇと。」
「なんで・・・?」
「なんでって・・・危ないだろうが?」
ゾロは変な事を聞くんだなと思いつつ手を振りほどいて歩こうとする。
すると逆に凄い力で手首を握り締められた。
一瞬にして痛みに脂汗が浮く。
「痛てぇ!!クソコック離しやがれ!!」
ぎゅっと握り締められた手首を取り返そうと、掴まれていない手を伸ばせばそれもまとめてサンジに拘束される。
ギリギリと握り潰されそうなその力にゾロは苦しげに声を上げた。
「やめろって、クソコック!!」
「テメェは・・・・いつもそうだ。」
低く唸るようなその声にゾロは驚いて動きを止める。
サンジは床を見つめたままでゾロからはその表情は分からない。
「ルフィ、ルフィって、そんなにアイツがいいのかよ!」
「は?なに言ってんだよ、痛てぇから離せって。」
一瞬緩まった力に安心していたところにギリっと更に力を込められてゾロの口から悲鳴のような息が漏れる。
その音に俯いていたサンジは微かに笑ったようだった。
「教えてやるよ・・・・。」
ゆっくりとゾロに向けられたサンジの目は冷たく笑っていて、その底冷えがする程の鋭い眼差しにビクリと身体が震えた。
「ゾロ・・・・テメェが誰のもんかって事をな?」
うっとりと肉食獣のような微笑に気圧された一瞬に、ゾロは腹巻で上腕を、サンジのネクタイで両手首を拘束されてしまう。
あまりの手際のよさに呆然としていると、ひょいと荷物のようにその肩に担ぎ上げられる。
ゾロは嫌な予感にその腕から逃れようと不自由な体勢から逃れようと体を捻る。
「放せ、クソコック!!」
両手を使えないままではろくな抵抗も出来はしない。
ククク・・・とサンジが楽しげに笑ったのにゾロは焦る。
「いい子にしてな・・・ゾロ。」
担いでいる手とは反対の手にスルリと内股を撫で上げられ、服越しに腰骨に歯を立てられる。
「・・・アッ・・・。」
咄嗟に漏れた甘い声にじっと周囲から視線が注がれ、ゾロは赤くなり、ついで青くなった。
破廉恥なサンジの動きを止めたいが、囚われたままではどうにもならない。
しかもこの状態のサンジにいいように扱われたら、体力バカといわれる自分でもどうなるか想像もつかない。
コイツは酔っ払いだと割り切って、助けを求めるためにゾロは必死で顔を上げた。
「ウソップ!!」
コツコツと靴を鳴らして歩くサンジの足は止まらない。
「ナミ!!!」
ナミは我関せずといった風に海図に向かっていた。
「ロビン!!チョッパー!!!!」
ゾロの前で無常にもパタンと軽い音をたててキッチンの扉が閉まる。
何処に向かって歩いているのかサンジの足取りに一切の迷いはない。
甲板を横切り、やがて見慣れた一室に連れ込まれてゾロは諦めにも似た気持ちで自分を戒めている男を見遣る。
運ばれる時よりは遥かに丁寧に床に降ろされ、ゆっくりとサンジが覆いかぶさってくる。
ゾロは諦めたように笑うと小さくその名を口にしたのだった。
「頭いってぇ・・・ガンガンする。」
氷嚢を乗せてソファーにひっくり返るサンジにウソップが薬と水の入ったコップを持って近寄ってくる。
「チョッパーが二日酔いみたいなもんだからってさ。ほら、薬。」
「ヴヴ・・・すまねぇな、ウソップ。」
起き上がると目が回るのかそのままで礼を寄越したサンジにウソップは笑う。
「まあ、今日のところはゆっくり休んでてくれ。俺らで何とかするからよ?」
引っ張ってきた木箱の上に持ってきていたトレーを置いて、サンジの手が届くように即席のサイドボードを作る。
手を伸ばしてきたサンジにコップと薬を渡し、微かに位置を直してから満足そうにウソップは立ち上がった。
「・・・ありがとう。」
薬を飲んだのを見届けてウソップは差し出されたコップを受け取る。
「吐きそうか?それならそっちの用意もしておくから遠慮なく言えよ?。」
ゆっくりとした動作でソファーに横たわったサンジに声をかけ必要そうなものを手の届く位置へそろえていく。
相変わらず細やかな気配りのきくその姿を見ながらサンジは声のトーンを落として独り言のように呟いた。
「・・・・クソ剣士は?」
ラリっていた間のことはさっぱり覚えてはいないが、仮にも恋人なら見舞いの一つや二つ、せめて顔をみせるぐらいしてくれてもいいんじゃないだろうかとサンジはちょっと拗ねてウソップに訊ねる。
そのサンジの問いにウソップは大きな溜息をついた。
「ゾロなら来ないと思うぞ?」
「ああ?なんでだよ。」
サンジの機嫌がますます傾いたのにウソップはまたひとつ大きな溜息をついた。
「来ないって言うか、動けないんじゃないかと俺サマは思うわけだサンジくん?」
「はあ?ふざけたこと言ってるとオロスぞ長っぱな。」
氷嚢を頭にのせて半ばソファーに埋まっているサンジにいつもの迫力はない。
ウソップは真面目な顔でサンジをじっと見つめた。
「昨日、変な魚を食って、ルフィをマストに縛り付けたことは覚えてるか?」
「おう、あの食い意地大王のせいで俺はこんなざまだ。」
サンジは思い出してイライラと呟く。
「それじゃ、そのあとキッチンに帰ったのは?」
「・・・いや、覚えてねぇ。」
ウソップははあぁーと深い息を吐き出した。
それに文句を言おうとしたサンジを遮って続ける。
「キッチンで俺やナミやロビンの前でゾロにキスしろって迫ったのは?」
「・・・いや・・。」
「好きだって言えって迫ったのは?」
「・・・・いや。」
「ゾロに抱きついて離れようともしなかったのは?」
「・・・・・いや。」
「嫌がるゾロを担ぎ上げて倉庫に向かったのは?」
「・・・・・・。」
ウソップは深く息を吐き出した。
「今朝、倉庫で意識のないゾロとサンジを介抱したのは俺とチョッパーだ。」
「・・・・・・。」
「サンジ、ナミから伝言があるんだけど、聞くか?」
ウソップの問いかけに恐る恐るといった風にサンジの首が振られる。
「『ほどほどにね、サンジくん。』だそうだ。」
ナミからの伝言に真っ白になったサンジをそのままにウソップは男部屋を後にした。
その日から当分の間、腫れ物に触るように優しくゾロに接するサンジの姿がGM号のあちらこちらで見かけられたのだった。
≪後日談≫
あの日、嫌がるゾロを倉庫に連れ込んだサンジを止める勇気は無くて、それでも罪悪感から翌朝チョッパーを巻き込んでウソップは倉庫へ向かった。
そっと扉を叩いてもゾロもサンジもからも応答がなく、かなりの勇気と心構えを持ってそれを開けた・・とウソップは思った。
中に入ってもあの気配に敏感なゾロがピクリとも動かないというのは異常事態に思えたのだが、幸いにもゾロの着衣に乱れはなく、危ない想像に脅えていたウソップはホッと胸を撫で下ろした。
その後、完全に意識のないゾロと、大の字で寝こけているサンジに脅えながらも別々に寝かせるようにしたのはウソップのちょっとした機転でもあったのだが・・・・。
チョッパーが介抱してゾロの意識もすぐに戻ったし(何があったかは教えてはくれなかったが)、サンジが復活してくる頃にはすっかりいつもどおりのゾロに戻っていた。
だが、ウソップには気になることが一つだけあった。
『ほどほどにね、サンジくん。』
このナミからのサンジへの伝言。
「ナミ・・・あの伝言はサンジに釘を刺しただけなんだよなぁ?」
料理人は今日もいそいそと剣士のご機嫌伺いに出て行って、キッチンにはナミとウソップの二人だけしかいない。
ウソップはさりげなさを装ってナミに声をかけた。
「うふふ・・・知りたい?」
ナミの目が新しいオモチャを見つけたときのように輝く。
その輝きにウソップは自ら進んで猛獣の檻に入ったことに気付いた。
「あんな声で名前を呼ばれたら、サンジくんじゃなくても暴走するんじゃなーい?」
クスクスと楽しげにナミは笑う。
「ゾロってば、ちょっと掠れた甘い声になるのよね・・・『サンジ』・・って。」
聞かなければよかったと心で泣いているウソップにナミはにっこりと笑顔を見せた。
「そうそう、ウソップ。もしそんなふうに呼ばれても暴走しちゃダメよ?サンジくんの嫉妬って凄そうだから。」
「・・・・・・・・・はい。」
そのウソップの反応にナミはいい気分転換になったと心の中で舌を出す。
実は先程から航海日誌の記述がうまくいかずイライラしていたのだ。
ペンを握りなおして日誌に向かえば先程のイライラが嘘のようにペンが進む。
ウンウン唸っているウソップにクスリと小さく笑う。
(実際は、ゾロがサンジくんの名前を呼んだところまでしか知らないんだけど。)
ナミはあらぬ妄想に苦しんでいるウソップをチラリと眺めると、上機嫌でサラサラと日誌にペンを走らせたのだった。
END++
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また変なもの食べさせられたコックさんでした(汗
たぶん、そういうものを毒見として口にしそうなのは彼が一番確率が高いだろうということで(笑
まあ・・・今回は不可抗力なんですが(汗汗
(2005/09/04)
= 剣士の受難 コックの災厄 =