『 クスクスクス・・・・。 』
海を渡る微かな笑い声に船尾で目を閉じていたゾロはゆっくりと視線を巡らせた。
ふわり。ふうわり。
海面を漂う光の玉。
月光を反射した波とは異なるその動きにゾロは静かに立ち上がると、静かにその光の玉を見つめた。
「何か用か?」
船の進む軌跡の跡。波の音と風の音。静かな月夜に相応しくないどこか剣を含んだその声に、辺りに響いていた笑い声はぴたりと止んだ。
ふうわり、ふわり。海面を漂う光の中からゆっくりと人影が浮かび上がる。そしてすべるように空中を移動し、ゾロの視線の先にはっきりと姿を現した異国の美女は袖を口元に当ててどこか可笑しげに口を開いた。
『おお、怖い顔じゃの。』
単衣、ふたえと布地を重ねた衣装を身に纏った美女はクスリと小さな笑い声を漏らして静かにゾロを見つめる。その顔にちらりと視線を合わせ、ゾロはそっと腰に差した刀の柄にその手を乗せた。
「・・・追ってきたのか?」
その返答次第では腰の刀を抜くと、言葉にしない気迫を感じたのか異国の美女は緩やかにその首を横へと振ってみせた。
『・・・頼みがあるのじゃ。』
「頼み・・・?」
視線を合わせ、どこか悲しげに笑った美女にゾロは眉を顰めてその顔を見つめ直したのだった。
「ウソップ。」
「おー、ゾロじゃねえか。珍しいな、この時間に寝てねえなんて。」
ウソップ工房で黙々と新兵器の開発に取り掛かっていたウソップは珍しい訪問者に嬉しそうな声を上げた。
「どうした、どうした。やっぱ、刀から火が出るように改良することにしたのか?」
「あー、それはまた今度な。」
本人曰く、宝の山を片付けてゾロの場所を作りながら楽しそうに笑うウソップにゾロは苦笑を浮かべて腰を下ろす。そしてウソップの元を訪ねたその理由をほんの少し困ったように口を開いたのだった。
「頼みたいことがあるんだが・・・・。」
『頼みたいことがあるのじゃ。』
透明な海に囲まれた島、クリアアイズ。その地では明らかに敵対関係にあった件の美女の訪問にゾロはゆっくりと体制を整えた。
油断したとはいえ、この美女の何らかの力で身体と精神(魂)を分断されたのは記憶に新しい。借りた体で目の前の美女とは刃を交えている。いや、正しく刃を交えたというのはもう一人の剣士だったという過去の人物とだ。
本来の身体に本来の魂。愛刀達の柄に触れ、ゾロはしっかりと目の前の黒髪の美女を見据えた。
『そのように警戒せずとも、吾に害意はないえ?』
クスリと小さく笑った美女は、事件の背後を知る上で重要な手がかりとなった不可思議な書物の中『光蘭』といった。
『彼のお方が居なくなってから剣士殿に声を掛けたのを証拠と思うてはいただけぬか?』
そっと袖口で唇を覆って、チラリとゾロの背後へと目を向けた光蘭の視線を追いゾロも己の背後へと意識を向ける。
夕食後、後部甲板で鍛錬を追え、そのまま月と波を眺めていたゾロと、見張りであるウソップを残してすでにそれぞれの部屋に帰っていったらしかった。キッチンからもれるはずの灯りも無く、キッチンの主もすでにその場から立ち去っていることを示す。
戦いにおいて、結果としてゾロはサンジの肉体を借りてその力を振るった。その姿を見て、目の前の美女は『そっくりだ』と懐かしむように愛おしそうな目でサンジの姿をしたゾロを見つめたのだ。
「・・・・、頼みってのはなんだ?」
ゾロは意識を灯りの消えたキッチンから目の前の光蘭へと戻して、ほんのかすか立ち位置を変える。そのゾロの意を汲んでなのか、いつまでも船尾の柵向こうに浮かんでいるのも話し辛いと思ったのか、やはりすべるように空中を移動すると静かにその衣の裾が甲板へと広がった。
『頼みというのはほかでもない。剣士殿、そなたが入っておった器・・・・あれをひとつ譲っては貰えぬだろうか?』
2008/03/02発行『望む世界は瞳の中』より一部抜粋