◆ 第四話 苺のショートケーキ ◆



 最高学年になり、気がつけば秋になり、あと数ヶ月もしないうちに今年も終わるなあと、サンジはぼんやりと曇りガラスに映った自分の顔を眺めていた。

「ふふっ、あまり身が入ってないみたいね。ロロノアくん」

「ロビンちゃん」

 授業が終わると帰宅するまでの数時間、相変わらずサンジの図書館通いは続いていた。

「あら、今日はミリオン君は一緒じゃないのね」

「あー、ゾロは、今日は剣道場の方、覗いてます」

 サラリと黒髪を揺らして笑う司書であるロビンに答えるとサンジは広げていたノートの上にシャーペンを転がしかすかに肩を竦めてみせた。

 小学六年生になり、夏ぐらいまでは部活動で隣人とは時間帯が会わなかったのだが、秋ぐらいからはちょくちょくサンジと共に図書館へと顔を覘かせ始めたゾロ・R・ミリオンは、自分の保護者である兄と良く似た物静かな男だった。黙々と冊子を繰り、レシピを書き留めていくサンジのその横でいろいろな本を持ってきては読んでいる。それこそ趣味の盆栽などど書かれた、どうして小学校の図書館にあるのだと思わず突っ込んでしまいそうなものから、低学年向けのナゾナゾ本やら、経済学と書かれた難しそうな本やら、古事記なんてものを手にしているのを見たこともある。だからなのか、ロビンの覚えもよく、ゾロが共に来ていなければロビンからお勧めだという本を渡される事も度々だった。

「そう、それは残念だわ」

 本気で残念がっている様子のロビンにサンジは苦笑して、先程転がしたシャーペンを手に取る。そして、その横にいくつか広げていた本を引き寄せるとパラパラとページを捲った。

「あら、・・そう、もうそんな時期なのね」

 チラリとサンジが開いたページを覗いたロビンが意味ありげな笑みを浮かべる。そんなロビンに曖昧な笑みを返してサンジはまた一つ目に止まったレシピをノートへと写し始めた。

 去年の今頃、同じようにして料理の本を片っ端から見ていたサンジにロビンが不思議そうに尋ねてきたのだ。いつもと違いその必死な様子に興味を惹かれたのだと彼女は笑っていたのだが、その時のサンジには初めてといって良いほど彼女から向けられた関心に喜ぶ余裕もなく、本当に素直に本を捲る手を休めて理由を説明し、そして大人の女性として彼女に協力を求めたのだ。

『ゾロの誕生日なんだ。お祝いをしてやりてぇんだ』

 真剣なサンジのその様子に驚いたように目を見張って、その時ロビンは図書館以外、自分が所有している本や、雑誌など、わざわざサンジの為にと集めてくれ、いろいろと便宜も図ってくれたのだ。

 実の母を亡くし、新しくできた父も亡くし、新しく家族となった兄と暮らし始めたのはサンジが小学三年生の時だ。彼と共に新しいこの学校に転校してきたのもほんの二年ほど前のことになる。強くて格好良くて優しい兄はサンジの自慢の家族だった。

 そんなサンジの尊敬する大好きな兄であるゾロの為に習い始めて、まだまだ料理の未熟な腕前ながらも、精一杯美味い料理で彼の生まれた日をお祝いしてあげたかった。

「今年は俺が考えたメニューでいいってコックが・・」

「ああ、そうなの。それは重大な任務ね」

 にっこりと笑ったロビンにサンジはちょっとだけ息を吐き出して、ノートにシャーペンを走らせた。

 去年の兄の誕生日。結果としてサンジが手掛けた料理がテーブルに並ぶことはなかった。メニューがどうという意味ではない。当日、偶然にも隣家に住む、己の同級生も誕生日だということで、兄と共にサンジも隣の家の料理人にもてなされることになってしまったのだ。

 黙っていて驚かせるつもりだったサンジの計画は逆に仇となり、楽しそうな兄の様子に言い出せないままに、一流料理人であると自負している男の料理に舌鼓を打ったのだ。

 その料理人が去年のサンジの様子に気付いていたのか、九月の始め、二人のゾロの誕生日メニューを考えてみろと宿題を出してきた。てっきり今年もコックである彼が腕を揮うのだろうと思っていただけに言われた瞬間、馬鹿みたいな表情で彼の顔を見返してしまっただろうとサンジは眉を顰める。

コックである彼が提示してきた条件はただ一つ。

サンジが自分で作れる料理であること・・・だ。店を持ち、コックとして腕を揮う彼に作れないものはないと豪語するほど、料理人としての彼のレパートリーは幅広く、そして日常的な料理(店に出さない家庭料理)も含めるとサンジが目の前に用意している本だけでは到底足りない。また、本人自ら一流料理人と名乗るのに負けないだけの腕と味を持つ、彼の事をサンジは凄いとその部分だけは認めていた。

 そんな彼が先生のような顔で十一月十一日の彼らの誕生日メニューを考えて来いといったのは、気まぐれなのか、それとも一年で上達した腕前を兄にみせてやれという意味なのか分からなかったが、しばらくの躊躇の後、サンジは大きく首を縦に振っていた。

 条件はサンジ一人でも完成させられる料理。

 もともと彼から料理を習っているといっても懇切丁寧に料理教室のように教えてもらっているわけではない。週に一回、どうしても忙しい時期はその期間は開いてしまうが、大体においてそのくらいの頻度でサンジは隣家を訪れ、そこで料理するコックを手伝いながらその手法を覚えていくのだ。もちろん指示を受けてやったこともあるし、それのやり方というものを教えてもらったものはある。だが、それは野菜の皮むきであったり、魚の捌き方、肉に入れる刃の向きなど、基本中の基本で料理とは言えない。当たり前だが肉の焼き方や、それにかけるソースの合わせ方、皿に共に盛られた付け合せの野菜のムースなど、サンジの目の前で出来上がっていっても、調合の割合、その手順の一つも説明してくれることはない。見て、盗んで覚えろとばかりのそのやり方は初回からそのまま今も続いていて教わり方に変わりは無い。

 前菜から始まってのコース料理など、サンジにとっては夢のまた夢。いずれは自分の手で作り上げて、兄に喜んでもらうのだと思うのだが、六年生になってやっとガスコンロを使った料理を作り始めたサンジにコース料理など作れるはずも無い。

「やっぱ、魚・・・かなぁ」

 和食の好きな兄に合わせたメニューにしようかと考えて、同級生の顔を思い出し、和洋折衷に変更したのだ。フレンチというわけではないが、洋食をメインとした料理店を営むわりに、和食も得意な隣家のコックと比べられたくは無いと微かな自尊心も働いて、サンジは一般家庭のちょっとしたご馳走メニューというものを当日用意することに決めた。

「でも肉も使いたいしなあ」

 メインは魚のムニエルか、鶏のホイル焼き。十一月ならきのこも安くて美味しい時期だし、料理の付け合せかサラダに使いたい。スープはポピュラーなコーンスープかジャガイモのポタージュにして、蟹あんを中に入れた茶碗蒸しを用意して、酒を飲むゾロの為に酒の肴になりそうな料理を二〜三品は用意したい。

「うーん・・・」

「・・凄いわね」

 ノートを前に唸り声を上げたサンジの横でロビンが感心したような声を上げる。材料に調理法、きちんと纏め上げられたノートの横に走り書きのような変更箇所がいくつも見受けられる。

 サンジは苦笑を一つ零し、別の冊子を引き寄せるとパラパラと捲った。

 実のところ、メニューはほとんど今考えているもので決まっているのだ。サンジ一人で作れといわれても作れるような料理に決めてある。そしてそれぞれは一度か二度、挑戦したことのある料理でもあった。

「ロビンちゃん。お酒に合う料理ってどんなものがいいかな?」

 サンジの問い掛けにロビンがゆっくりと瞬きを繰り返す。それに軽く笑ってサンジはパラパラとページを捲る動作を繰り返した。

「俺、未成年だし、どんなのがいいのかいまいち分かんなくってさ」

 困ったように告げたサンジにロビンの唇がゆっくりと弧を描く。

「そうね。その時に飲むお酒の種類によっていろいろ変わるんじゃないかしら・・」

「あー、やっぱり、そうだよねぇ・・」

 ロビンの答えにサンジははあっと大きな溜め息を漏らした。

 そう、メニューはそれほど悩むでもなく決まったのだ。なにせサンジが作れるそれらはオーソドックスなもので、隣家のコックが出してくるようなオリジナリティ溢れるものではない。唯一の問題点であるケーキは美味いと評判の近所のケーキ屋で注文することに決めた。あと、決まっていないのは大人達が飲むだろうアルコールに合わせた料理だけなのだ。

「何を用意するか決まってるの?」

 サンジの大きな溜め息にほんの少し悪いと思ったのか、柔らかく問いかけてきたロビンにサンジはゆっくりと首を横に振った。

「去年はコックがお祝いだって言って、高いワインを二人で飲んでたんだよね」

「・・そう・・」

「うん」

 子供だからとサンジのグラスに注がれたのは同じような深い赤い液体だったが、ただの葡萄ジュースで、大人二人のグラスには年代ものの赤ワインが注がれていた。案外その点には緩いコックが味見だとサンジとゾロのグラスにもワインを注ごうとしたのだが、それに対して教師でもある兄は断固として譲らず、結局一滴もその赤い液体を口にすることはできなかった。

 そのこと事態は別に残念だともなんとも思わなかったのだが、もしかして今度の誕生日に同じようにワインをコックが出してきた場合、今考えているメニューでは合わないような気がする。だから、念のため、そういったワインが出てきても大丈夫な料理をいくつか用意しておきたいのだが、今度は味を知らないからどういったものを用意したら良いのかが分からないときた。

「そうね・・・ワインなら・・、とりあえずチーズをいくつか用意しておいたらどうかしら?」

「チーズ?」

「ええ」

 クルリと背を翻して消えていったロビンが大して時間もかけることなく戻ってくる。そして手にしていた一冊の本をサンジの手元へと置いた。

「ワインとチーズっていうのはお手軽で相性のいい組み合わせなのよ。それにチーズって案外日本酒にも合うから、そういったものを選んでみるもの一つの手ね」

 にっこりと笑ったロビンの顔になるほどとサンジは手にした本のページを捲る。いつも飲むといっても自宅ではビールぐらいしか飲まないゾロの酒のつまみといえば夕食の中の一品か、おつまみセットとプリントされたスルメやナッツの詰め合わせみたいなものだ。もちろん、チーズなどは料理に使うだけで酒の肴にゾロが口にしているのを見たことがない。

「この本、結構詳しく載ってると思うわ、参考にしてみてね」

「ありがとう、ロビンちゃん」

「いいえ、頑張ってね」

 にっこりと笑ったロビンに御礼を言って、サンジは早速とばかりに一つ一つのページに目を通し始めたのだった。


2008/11/09発行 『羊ヶ丘一丁目一番地 second stage 』より一部抜粋