◆第一話 羊ヶ丘一丁目一番地 ◆







ここは羊ヶ丘1丁目一番地。
そこに羊のマークの引越しトラックが停車したのは夏の暑いある日の出来事だった。










「それじゃ、いってきまーす。」
「おう、気をつけて行けよ。」
「行ってきます。」
「いいな?迷ったら必ず電話してこいよ?」
 同時に開いた扉の内側ではそれぞれの会話が交わされていく。
「ゾロこそ遅刻すんなよな?」
 サラリと金の小さな頭が揺れて扉を片手で押さえ、その場に立つ緑の髪の青年へとチラリと顔を向ける。そして手にしていたランドセルを肩に担ぐと少年はトントンと靴先でコンクリの廊下を叩く。
「へんな心配してんじゃねえよ、サンジ。」
 そんな少年の言葉に呆れたように笑った青年の手が伸びてきて軽く額を指先で弾く。それにムッとしたような顔をして綺麗な蒼い瞳が不服そうに青年を見上げる。
「よお、チビナス。」
 子供扱いするんじゃねえと、自分の保護者である青年に苦情を言いかけていたサンジはその呼びかけと共に現れた人影にパッと怒りの矛先を変えた。
「チビナスって呼ぶな!クソコック!」
 咥え煙草に淡いブルーのシャツにブラックジーンズ。サンジが先ほど出てきたものと同じ白っぽい金属の扉からこちらへと視線を寄越し、自分の保護者と同じ年の男が笑っている。軽く引っ掛けただけという具合に、二つ三つしか止まっていないストライプの青いシャツの間から日に焼けていない裸の胸が見えて、サンジは嫌そうに眉を顰めた。金の髪に蒼い瞳。見事にこの国の人間でないと分かる姿形の彼は、スラリとした長身と甘いマスクで密かにご近所のおばさま方のアイドルだ。
「チビだからチビだって言ってんじゃねえか、チビナス。ウチのゾロより5センチもチビだろ?」
 クククと扉に寄りかかるようにして笑っている男は手にしていた布袋を二つ、サンジの保護者に向かって差し出した。
「ほら、弁当。」
「あ、いつもすまねぇな。」
「気にすんなって、コイツのついでだ。」
 にやりと笑ったその口元がいやらしいとサンジはムッとして男をにらみ付けた。職業がコックであるというこのお隣さんは目下サンジの一番の敵だ。
 差し出された布袋の内、小さなものを保護者に差し出されてサンジは微かに唇を噛むと大人しくその持ち手をランドセルと一緒に肩にかけた。
「それじゃ、行ってきます。・・・行くぞ、ゾロ。」
「ああ、行ってきます。」
「おう、気をつけてな。」
「車、気をつけるんだぞ。」
 いつの間にやら移動して、二人仲良く並んでいた保護者達の前からサンジは同級生の腕を掴んで逃げるようにしてサンジは玄関を後にする。
 チラリと振り返った先で隣のクソコックが自分の保護者と何事か話をしている様子に小さく舌打ちした。お隣さんだし、同い年、それぞれの保護者が仲がいいのは悪い事だとは思わないのだがモヤモヤとしたサンジの苛立ちは一向に消えていかない。
 ガッチャガッチャと走るたび、揺れて音を立てる弁当の存在も癪に障る。俺が弁当を作るって言ったら反対したくせに・・・とその時の保護者の顔を思い出してサンジは悔しげに唇をギリギリと噛み締めた。
「お、サンジ、おはよーう。」
「おー、ゾロ、おはよー。」
「おうっ。」
 ドタドタドタ。登校途中の友人達が二人の姿を見かけて声をかけてくるのにおざなりに返事を返しながらサンジは足を緩めることなく走り続ける。不思議そうな友人達の間をすり抜けて、幾度めかの返答を返した時、サンジはハタと思い出したように首を巡らせた。
 緑の髪に翡翠の瞳。自分の保護者とよく似た色彩を持つ同級生がサンジと同じようにランドセルの金具をガッチャガッチャといわせながら走っている。
 みるみる近付いてきた校門を走りぬけ、下駄箱脇でハアハアと息を整えながら足を止めたサンジは微かに首を傾げた。
「な・・・、はっぁ・・・、なんでゾロまで走ってたわけ?」
 朝早くから無駄な運動をしてしまったと思いつつ、問い掛けたサンジに呆れたような緑の目が向けられた。
「お前が俺の手を握ったまま走ったからだろうが。」
「うっわぁー、マジィ?」
 同級生の指摘にサンジは大きな声を上げて頭を抱えてしゃがみ込んだ。確かに玄関を後にするときにこの同級生の腕を掴んで走り出した記憶はある。
「あー、・・・悪りィ。」
 と、いう事は道すがら二人は仲良く手を繋いで駆けていたわけで、そしてそれはもしかしたら自分の保護者の耳にも入るかもしれない。なにせサンジの保護者であるあの青年はこの小学校の先生で、この同級生の学級担任なのだ。
「・・・まあ、気にすんな。」
 凹んだ様子のサンジに笑って、軽く手を振ると緑の髪の同級生は自分のクラスの下駄箱の方へと消えていく。
「おう・・。」
 同じようにヒラヒラと手を振り返してサンジは一つ息を吐き出すとノロノロと立ち上がり、下駄箱へと向かう。
「おはよう、サンジくん。」
「おはよう。」
 下駄箱で会ったクラスメイトにニッコリと笑顔で返し、サンジはもう一度だけこっそりと溜息を零すと、取り出した上履きへと履き替えたのだった。






























 さて、このあたりで複雑かつ、面倒くさい彼等の関係を説明しておこう。
 彼ら4人が暮らす街は東海市羊ヶ丘一丁目一番地。
 そして彼等が暮らすそのマンションは、G・Merryという。







 マンションの正面入口、アーチ型の門にはG・Merryという文字と可愛らしい羊のイラストが彫り込まれている。
 縦長の、船の形を模したというこのマンションは4階建てで、その建築の形が変わっているだけで中身はいたって普通のマンションだった。




 このG・Merryマンションの3階、ここには現在2世帯が住居を構えている。
 303号室。
 この部屋に住んでいるのは今年大学を卒業したばかりで、マンションから徒歩十分という場所に建っている羊ヶ丘小学校で教師をしているロロノア・ゾロとその扶養家族、ロロノア・サンジの二人だった。
 この二人、実は血の繋がりはまったく無い。
 戸籍上は歳の離れた兄弟という事になるのだが、そうして兄弟として暮らし始めたのもほんの2年ほど前からの話だった。



 ゾロの父親が唐突に再婚したいのだと息子の暮らすこの部屋を訪ねてきたのはゾロが二十の時。
 当時学生だったゾロは父親からの唐突な相談に驚いたもののどうせ自分もすぐに家を出てしまうのだからと、男手一つでここまで育ててくれた父親の幸せに祝福を送った。それでも照れくさかったゾロはノラリクラリと再婚相手との対面を避け、ようやく相手の顔を知った時には父親もその人もすでに遺影の中で、この世の人ではなかったのだ。
 籍を入れてたったの一ヶ月の出来事だった。
 二人だけでささやかな新婚祝いの食事に出かけた帰り、不運な事故に巻き込まれ、そのままふたりは帰らぬ人となってしまったのだ。
 夕方遅く帰宅し、二人が運び込まれた病院先からの連絡を受け、慌てて自宅に駆けつけたゾロを出迎えたのは小さな金髪の男の子だった。
 再婚相手に連れ子がいると話には聞いていたがゾロ自身まだ一度も会った事の無い弟、サンジだった。
『・・・ゾロ?』
いつまで待っても帰宅せぬ両親を待ち、突如現れた自分の兄になるゾロを驚いたように見つめた蒼い瞳に、これからは自分がこの子を守ってやるのだとゾロは心に誓ったのだ。
 葬式も終え、大学を辞めて働くべきかと考えていたゾロは、自分名義のいくつかの通帳と、卒業までの大学費用として分けてあった通帳の存在に浪費癖のなかった父に心から感謝した。父親の残した財産と、生命保険で子供二人だけで暮らしていくぶんには当面経済面での心配はなさそうだった。
 しばらくは大学も休み、弟とふたり自宅で過ごしたのだが、やはり大学への通学に不便な事もあり、納骨を済ませると、自宅管理を父親の友人である人物に頼みゾロは小さなサンジを連れて、大学に通う為に借りていたG・Merryマンションへと帰ってきた。
 大学に通う傍ら、サンジの世話を不器用ながらもこなし、忙しいながらも楽しい日々を過ごしていく。
 子供二人で暮らし始めて半年ほど経つ頃、ゾロは父親の友人のツテで家庭教師のバイトを始めた。
 週に二度ほど、生徒の自宅へ行っての家庭教師だ。
 いくらサンジが分別のある年齢だと分かっていても、さすがにたった一人の弟を放っておいてまでバイトをすることはゾロには出来なかったのだが、是非にと頼まれたこともあり断りきれなかったのだが、ある程度こちらの要望を通す事ができ、時間の都合のつくそのバイトはやってみればとてもゾロの生活に合っていた。
 その時の教え子の親が羊ヶ丘小学校の校長と懇意にしていたのは偶然なのだが、家庭教師として来ていたゾロを気に入ったその人は卒業後のゾロの就職先として羊ヶ丘小学校を紹介してくれたのだ。そしてそのまま労する事もなくゾロは羊ヶ丘小学校の教師としてトントン拍子に仕事先も決まりどこかホッと安堵の息を漏らした。



 さて、話は戻って、ロロノア・ゾロとロロノア・サンジが暮らすG・Merryマンションは住人を選ぶのか部屋数のわりに空き部屋が目立つマンションだった。
 このマンション、立地条件も、部屋の間取りも悪いということはない。ゾロ自身このマンションの住人募集の張り紙を見つけたとき、この間取りでこの価格は間違いではないだろうかと何度もその内容を見直したほどだ。
 玄関を開けて板張りの廊下の左手に6畳の洋室、もう二歩奥へ進むと右手に8畳の洋室、そのまま廊下を通り過ぎると十六畳のリビング、そのリビングを抜けてバルコニーに向かう間に襖で仕切られた8畳の和室がある。その壁際に設置されているクローゼットはかなりの大きさで各部屋の収納も含めるとかなりの収納スペースもあり、明らかに家族向けに作られた部屋らしかった。
 一人で暮らすには広すぎる部屋だが、部屋を見せてもらった時に会った管理人であるメリー氏に勧められゾロは入居を決めた。その後、サンジと共に暮らし始めたことを考えると広すぎると思っていた部屋も無駄ではなかったと最近ゾロは思うようになっているらしい。










 さて、羊ヶ丘小学校教師のロロノア・ゾロとサンジが暮らすG・Merryマンションにある一家が
越してきたのは夏も盛りの暑い一日の事だった。


 G・Merryマンション、302号室。
 蝉の声も煩い、8月のある日、本日は今年一番の猛暑でしょうと天気予報で告げられた、そんなあつい暑い真夏日に羊のマークの引越しトラックがこのマンションに新しい住人を連れてきた。


 302号室に新しく入居したのは、一人の青年と小学生ぐらいの男の子の二人。
 青年の名前はサンジ・B・ミリオン。羊ヶ丘商店街の外れに出来た洒落たレストラン、『オールブルー』の総料理長という肩書きを持つ男だった。
 彼はその名の通り日本国籍を持つ人物ではない。
 父親代わりのゼフ・C・ミリオンという人物が日本に開く、バラティエというレストランの支店の一つを、彼が貰う形で父親の元から独立したのだ。
 その彼には今年十一歳になる子供が居る。
 息子の名前はゾロ・R・ミリオン。
 サンジと血の繋がった正真正銘の実子という事ではないが、二十三歳で十一歳の父親というのはなかなかに世間の目が厳しい。だからというわけではないのだろうが、サンジは父親代わりであるゼフが日本に店を開くと聞いてゾロを連れてさっさとこの国に渡ってきた。その国の人間でないと分かると人の目が和らぐのは少々不思議なものだ。
 さて、彼がいくつかある支店の中からこの羊ヶ丘に建った店を選んだのはたまたまの偶然でしかなく、そしてこのマンションに住むことを決めた事も、これまたただの偶然でしかなかった。
 だから彼は日本の決め事の一つだと教えられた引越しの挨拶の為にお隣の303号室を訪れて心底驚いたのだ。

『ゲッ、チビナス・・。』

 思わず自らの口を滑り落ちた言葉は無意識で、その言葉の意味も分からず相手がムッと眉を顰めたのにサンジはまずったと心の中で汗を浮かべた。
 チャイムを押し、お隣さんが玄関を開けるまで彼は隣が男二人の自分達と同じ年代の人間が住んでいるとは知らなかったのだ。
「えっと・・・、どちらさん?」
 まさかそれが自分とよく似た、否、過去の自分とそっくりな人物など誰が想像できるだろうか。
 このあたりにマンション管理人、メリー氏の意図的な作為を感じぜずにはいられなかったのだが、開けた玄関先で思わずといった風に固まってしまったサンジと、それを睨みつける少年に背後から声をかけてきた人物を見てサンジはますます驚きに目を見張るしかなかった。
 新緑を思わせる鮮やかな緑に翡翠の瞳。意志の強そうな輝きを宿した瞳の上に一筆で描かれたような眉。そして薄いけれど形のいい唇がサンジを見つめ、やはりポカンと驚いたように開かれた。
「あ、ええっと。・・・今日、お隣に越してきました、サンジ・B・ミリオンと言います。」
「サンジ?!」
 語学教師から教わったように挨拶をしたのだが、その相手が驚いたように目を丸くするのにどこか間違ったかと、これまた自宅に残してきた子供の数年後の姿だと言い切れるほど、似た容貌をもつ相手にサンジは困惑の表情を向ける。
「あ、いや、違うんだ。」
 そんなサンジの様子に気付いたのか、緑の髪の青年は安心させるかのような笑みをサンジに向けて、玄関先で相変わらず目付きの悪い小さな金の頭にポンと手を置いた。
「俺の名前はロロノア・ゾロ。・・で、コイツがロロノア・サンジ。」
「サンジ?!」
「ああ、同じだろ?だからビックリしちまったって言うか。」
 ロロノア・ゾロと名乗った青年の言葉にサンジはこんな偶然もあるのだなと思わず肩を竦める。何度見直しても目の前の青年が自分が共に暮らしているゾロの何年後かの姿だと言われても納得してしまうぐらいそっくりで、先ほど玄関を開けたサンジという少年も、こうして訪ねて来たサンジの幼い頃の姿とそっくりだ。サラサラと流れる金の髪も、クルリと巻いた変わった眉も、その下にある蒼い瞳も、何故か左眼を隠している長い前髪さえ、本当にそっくりなのだ。これで名前まで同じとこの出会いを偶然という一言で表してしまうのはどこか陳腐にさえ思えてくる。
「こっちも驚いた。俺にも同居人がいるんだが、そいつの名前がゾロって言って、アンタにそっくりなんだ。」
「ゾロに?」
 サンジの言葉にすぐ反応を返してきたのは小さなサンジの方だったが、やはり告げた内容は目の前の青年を驚かせるのは十分だったみたいだった。
「あー、その。今夜は遅いし、明日にでもウチのゾロを紹介するよ。」
 どこか困ったように笑ったサンジにゾロも苦笑を浮かべ、そしてその翌日、302号室の住人は303号室の住人と改めて自己紹介を交わし、そしてサンジ・B・ミリオンは日本での初めてのお客様としてコックとしての腕を披露して見せたのだった。








 そして今現在。
 G・Merryマンションの303号室には小学校教諭のロロノア・ゾロとロロノア・サンジの二人が暮らし、そのお隣302号室にはレストランオールブルーの料理長、サンジ・B・ミリオンとゾロ・R・ミリオンが暮らしている。
 これはそんなちょっと変わった彼らの物語。





(2008/03/02発行 『羊ヶ丘一丁目一番地』 より一部抜粋