はじめに 

 地元の青壮年グループで、中世山城「医王山城跡」の保存・調査・整備を行っています。1995年から、登山道整備を始めて十数年になります。その後97年に「津山市重要文化財」に指定され、市行政当局の支援を受けながら整備保存につとめています。江戸時代に廃城になってから、樹木に覆われていたため保存状態も良く当時の様子を伺い知ることができます。標高340bほどの山で、ふもとから約25分で主郭跡(山頂)に登ることができます。今では、「医王山城跡保存会」の手により楽に登れる登山道ができあがり、いつでもだれでも主郭(本丸)跡からの眺めを楽しむことができます。(上の写真参照)
 近くの方は、是非登ってみられてはいかがでしょう。あの「寅さん」の遺作となった映画の、最初の場面に出てくるJR「美作滝尾」駅の近く、津山市吉見にあります。 
 
 さて、医王山城は因幡と美作を結ぶ街道の要衝に位置し、鎌倉時代には砦が築かれていたようです。しかしなんと言っても、その重要性と存在がクローズアップされるのは戦国時代です。
 美作の地は「美(みま=おいしい)作(作物)」とか、「美(みま)酒(さか)」と書き表すように、清流豊かで作物(やお酒)が良く実る土地柄だったようです。実際津山市内には造り酒屋が5つもあり、もちろん医王山城を望む加茂川のほとりにもあります。(加茂五葉・津山ビールの多胡酒造)
 また、中世の美作の特産物はたたら(鉄)、和紙、木材であり、いずれも重要な製品となっていました。そのため、同時にこの美作の地は山陰の覇者と山陽の覇者がせめぎ合う、戦場ともなってきました。尼子氏(出雲)から浦上氏(播州)さらに毛利氏(安芸)、その後は宇喜多氏(備前)へとその支配はかわり、人々の暮らしや思いも否応なく動揺したことでしょう。自分たちの家族や財産をどのようにして守るか?そうした土地柄ゆえに、美作一円では自治精神が高まってきたといえます。

 時は戦国時代。信長の全国統一の一環としての中国攻め。鳥取城、三木城(兵庫)を兵糧責めで落とした秀吉は、はじめは毛利氏と同盟を結んでいた宇喜多氏と連合軍を組み、備前より北上し三星城(美作市湯郷)に迫ります。多勢に無勢、名将と言われた後藤氏も三ヶ月の籠城戦の末切腹して果てますが、母子は医王山城に逃れます。でも結局、妻(宇喜多直家の娘)は夫の後を追い自殺したそうです。医王山城決戦前夜のことです。以下、『津山市史』に即し(出典は作陽誌)話を進めてみたいと思います。
 
 1579(天正7)年3月頃から宇喜多氏による本格的攻撃が始まったようです。直家は兵2万余人を動員して、美作中央の枡形城(鏡野町)を攻撃しています。戦火は矢筈城(津山市加茂町・高山城ともいう)まで拡大しています。ここは草苅重継の守る難攻不落の山城で落とすことはできなかったばかりか、秀吉からの誘いもきっぱりと断って毛利に忠誠を尽くしています。 5月には三星城(美作町)の名将後藤勝基も3ヶ月の激戦の末破られ、落城します。
 9月吉川元春は小早川隆景に書状を送り「医王山城のついては、数箇所の附城(つけじろ)を日夜取相し、難勘の状況で気の毒である。ことに兵糧が不足している由一大事のことである。その斡旋をすることが最も必要なことである」と報告しています。『吉川家文書』
1580(天正8)年は美作西部の高田城が毛利氏、東部の三星城が宇喜多氏のてに落ちた今、中央部にあって因幡・伯耆への道を扼する医王山城は、自ずと両者の攻防の的となっていくのでした。
 当時医王山城は、毛利方に属しその在番衆として湯原春綱を送り守っていました。でも湯原一族とその家臣だけが城を守るのではありません。城兵の多くは、国人(こくじん)といわれる地元の有力者たちでした。(高山、多胡、芦田、鈴木などが文書に残っています)また、戦闘の中心になるのは国人に組織された農民たちであったようです。籠城という戦法が基本的な戦いであったので、竹槍・岩・石つぶてなどが主に使われたようです。中世山城の発掘調査が奥津町でなされていますが、刀傷による死亡は希との報告です。
 1月。毛利輝元・吉川元春・小早川隆景の三者は連名で湯原春綱に対して、医王山城在番への労をねぎらい、大野(鏡野町?)に300貫の地を与えています。
 4月。元春は医王山在番衆として小川元政を派遣して、春綱と共同して敵に当たるよう命じています。
 6月から、いよいよ宇喜多氏の医王山城攻撃が激化してきます。このころ、織田信長は秀吉を通じ在番湯原春綱に寝返るよう伝え、「出雲領内に所領を遣わす」旨通告し同心するよう誘っています。しかし湯原は、これらの誘いを拒否し毛利輝元に事の次第を詳しく報告しています。以後籠城戦が始まります。
 7月。多勢に無勢の激戦に、輝元は医王山城に対し「木の根、かやの根にてなるとも、相堪える」よう激励しています。
 9月、再度宇喜多は湯原に対して味方になるよう誘って拒否されています。輝元は自ら誓紙を送り「元就」の一字を末子に至るまで与えることを約束し、その心底を感謝しています。しかし、このころには多勢に無勢、いくつかの砦は落ちていました。また、峰続きの「仙々城」から裏切り者が出て、まさに落城近しの状態だったようです。
 一方、何とかして毛利方は援軍や兵糧を送ろうとしますが、中国地方のあちこちで戦乱が拡がっているためそれができません。しかし、兵糧が不足する中湯原軍の志気は高かったようで「三の丸を3人で死守している」との記述もあります。
 10月、輝元は新見に着陣し「医王山火急」との書き出しによる書状を送り、春綱に「この度の難儀筆紙に尽くし難き候」とその労をねぎらい、さらに援軍を待つよう激励しています。19日輝元は、「医王山の儀殊の外相弱るの由」本陣を高田城に移すよう命じ、27日高田への陣替えを決行、ようやく医王山城への援助が始まったようです。
 11月初旬、医王山への援軍は繰り出されていますが宇喜多方を完全に撤退させるまでには至っていなかったようです。しかしながら、ともかく医王山城は持ちこたえたのです。15日輝元は多額の銀子を医王山在番衆に送り、功をねぎらっています。また「医王山城には去年以来数箇所に敵が取り付き、夜白の合戦(夜昼の合戦)のため通路を確保することもできず、籠城となったが、無事持ちこたえた。その忠義は比類なきものである。春綱ら一行の者の恩賞については、元春と相談した上で必ず与えるであろう」と春綱に述べています。
 宇喜多方にとっては、2度目の厳冬を美作北辺の地で迎えるという悪条件と、美作西部から輝元・隆景による毛利方の主勢力の進攻とを考慮しての撤退であったようです。また、直家の病状も良くなかったとの予測もあります。宇喜多方の撤退の模様やその時期は一切不明ですが、12月の中旬には、湯原春綱への恩賞について輝元の陣所で論議されていることから、この頃までには医王山城は平穏になっていたと思われます。
 さて、天正10年5月、備中高松城を水攻めで落とした秀吉の毛利方と和睦により、美作一円は宇喜多氏の所領となりましたが、相当の間毛利勢は各山城にとどまり明け渡しを拒んだ様子が残っています。
 医王山城に残る石垣も、宇喜多時代に修復がなされたのではないかとの調査報告があり、宇喜多氏が接収した後も補強し、しばらくは他の城に備えたとも考えられます。そして、年月不詳ですが美作が宇喜多氏で安定して、その任を解かれて廃城になったといわれています。そして約400年の深い眠りについたのでした。それから400年後、私たち末裔の者共が再び医王山城を蘇らせようとしています。
以上が、医王山城の攻防記です。
                         

以下は医王山城跡保存会の足跡です

2002年3月24日(日)pm1:30より グリーンヒルズ津山 「リージョンセンター」にて《中世山城サミット》が開催されました。予想をはるかに超える約250人の参加で、最後まで白熱したディスカッションが繰り広げられました。
2002年5月5日(日) 医王山登山会の報告です。
  ●催し物 記念写真撮影(後日自宅にお送りしました)
        石垣、堀切など遺構の見学説明会(希望者)
        のろしをあげる(遠くから見えるように)
        献茶(茶席が実に風流を演出しました)
        宝探し(こどもたちがよろこびました)
 この日は晴天に恵まれ、市内市外より約100人の人でにぎわいました。県会議員や市会議員、新聞社の記者も参会され、地元保存会の活動の様子にも理解を示されました。5月下旬の今も、本丸跡には陣旗や鯉のぼりがはためいています。興味のある方は、是非登ってみてください。
2002年6月8日(土) 医王山城跡保存会主催のクラシックギターコンサート
  ●16:00〜17:00まで 「山崎 繁」氏を招いて
  ●津山市立清泉小学校 体育館にて。
ご覧のように、大盛況とはいかなくても医王山のふもとにクラシックギターの調べが響き渡り、参加者はひとときの音色に聞き入っていました。山崎さん、ありがとうございました。リクエストの「荒城の月」もすばらしく、文化のかおりそのものでした。田植え仕事が終わった山村に一服の清涼感でした。
秋、医王山城は、夏の盛りを迎え訪れる人もまばら
で、ひっそりとしずまりかえっています。夏草が茂り
「強者どもが夢のあと」の風景でしょう。
冬 木枯らしと雪の景色。風情があります。
2003年2月 来年度に開催予定の「美作の中世山城サミット」(仮称)にむけて、準備会を5日に開催しました。津山城築城400年記念事業への参加を考えています。これから、その進捗状況もお知らせします。
2003年4月15日 「美作の中世山城サミット」準備会を開き、美作一円に再度呼びかけ5月には全体で実行委員会を立ち上げるよう予定しています。
2003年5月4日 「第9回 医王山登山会」が晴天の中、催されました。約100名の参加者と本丸からの眺めに酔い、こいのぼりやのろしをあげたり、医王山合戦物語や神楽尾城・荒神山城の代表との交流会、さらに茶席での一服と、みなさんそれぞれ楽しんでいました。
2003年6月 津山城築城400年記念事業の市民自主企画事業に応募し、2004年に向けて「美作の中世山城サミット」実行委員会も動き出しました。現在は津山市、鏡野町、久世町、奈義町の山城関係者で構成していますが、今後は周辺市町村へも呼びかけを行いより広い視野での活動になるよう努力していくつもりです。
2003年7月 来年度の津山城築城400年記念事業に「美作の中世山城サミット」として参画することが決まり、市庁舎で打ち合わせがありました。いよいよ始動です。
2003年7月26日 津山市大篠の福田薫さんの呼びかけで、津山市最高峰の[天狗寺山」登山と中世山城「烏が仙城」への登城が市内各地より約30名の参加で行われました。樹木や草がきれいに刈り取られ、本丸跡はまるで当時のように堀切や土橋、横堀などがはっきりと確認でき、それはすばらしいの一言でした。福田さんはじめ大篠町内のみなさんの努力のあとに頭の下がる思いでした。(右の写真)
2003年10月16日 清泉学区の3世代交流事業に「医王山登山」を企画していただき、約100名の地域住民で本丸はにぎやかでした。本丸では私のつたない「医王山物語」を披露。皆さん和やかに、地域の文化財に触れたのでした。
2004年1月31日 津山城築城400年記念事業協賛 「美作の中世山城サミット」実行委員会が開かれ、事業の内容と準備が進められています。事業内容は
 第1回 中世山城講演会 2004年5月9日(日)グリーンヒルズリージョンセンター
       中世山城の城郭について  池田  誠先生(東京)
       美作の中世山城と構跡(かまえあと)  亀山 行雄先生(倉敷)
 第2回 中世山城登山見学会  2004年10月24日(日) 岩屋城跡(久米郡)
 第3回 美作の中世山城サミット  2004年11月28日(日) 
                           グリーンヒルズリージョンセンターにて 
      美作の中世山城保存関係者が一同に会し、展示発表・シンポジウム
 ※問い合わせ 美作の中世山城サミット実行委員会 事務局  
                                 土居  徹(28−3730)
2004年4月29日 第10回医王山城登山会実施。(上の写真です)今年は美作の山城サミットの関係で参加者が多く、約100名で登りました。2人のギャルの茶席も人気でした。
2004年5月9日 「美作の中世山城サミット」第1部 中世山城講演会が超満員の訳300名の参加で盛大に開かれました。津山市長はじめ周辺町村の代表も来賓として参会頂き盛り上がりました。
2004年10月20日 台風23号で風倒木がひどく、登山不能になりました。登山道が大きな被害を受け、なぎ倒された大木多数。復旧には大変な作業を必要とします。
2004年10月24日 美作の中世山城サミット第二部「岩屋城」登山会が開催され、約200人の登山者でにぎわいました(写真)。
2004年11月28日 美作の中世山城サミット第三部「山城サミットシンポジウム」が津山市グリーンヒルズリージョンセンター ペンタホールで開かれ、約150人の熱心な愛好家で議論が深まりました。(写真)また、休憩時間には「岩屋城を守る会」の皆さんによるアトラクションもあり盛会でした。
津山城築城400年記念 市民自主企画事業の「美作の中世山城サミット」は以上で終了しましたが、この度の反省に踏まえネットワーク作りを一層推進し、次回開催未定の中世山城サミットに向けて新たな歩みを始めるつもりです。ご期待ください。
※2005年1月の事務局会で、今年の花見登山は中止と決まりました。誠に残念ですが、来年は登山道を整備し、登山会を開催したいと考えています。
2005年3月10日 
「美作の中世山城サミット実行委員会」を開催し、事業報告・会計報告を行い、すべての活動を終了しました。その後解散か継続かの議論をし、このイベントの反響の大きさに、引き続き継続することに全会一致で決めました。会報の継続発行、年1回の講演会(登山会)、情報の交換等さらに飛躍的なアイデアが出ました。5月の「津山城築城400年記念事業」終了後に、活動を再開するつもりです。ご期待ください。
2005年4月29日 医王山城の向かいに中世山城(砦)跡「堀坂の砦」が発見され、その登山会が4月29日に開催されました。安藤青壮年会長の挨拶で始まり、写真のように地元の方や市内外のから約40名の参加で、山城研究家山形さんより遺構の説明を受けました。青壮年のこれからの活動が期待されます。
2005年8月 「美作の中世山城サミット実行委員会」を発展的に新組織にしていく準備会が開かれました。広く、長く活動が続くように、組織も会員もリニューアルするつもりです。10月上旬の立ち上げを予定しています。
2005年9月 3回の会合を重ねいよいよ10月7日(金)午後7時より、津山市の市民活動センターにて設立総会を開催します。多数の方の参会を願っています。
2005年10月7日 津山市教育委員会、奈義町教育委員会をはじめ来賓の方々の出席で盛大に「美作の中世山城連絡協議会」が設立されました。今後は、協議会ホームページにて会の様子をお知らせします。
2006年2月26日 役員会を開催し、登山道復旧工事の打ち合わせ、2006年度登山会の実現に向けて話し合いをしました。結果3月26日に、登山道整備を行うことを決めました。
2006年3月26日 吉見町内より22名の参加で、登山道復旧工事を行いました。工事は困難を極めましたが、1日かけて元通りのルートで完了しました。これで、2006年度「医王山城登山会」ができます。
       
 ☆2006年度第11回「医王山城登山会」
           ・日時  山4月29日(土)みどりの日  午前10時〜12時
           
・集合場所 登山道入り口 岩尾寺駐車場集合
           
・催し物   こいのぼりをあげよう!
                   医王山城合戦物語
                   のろしをあげよう!
                   宝探し(子ども)
                   茶席にて献茶サービス

           
※たくさんの方の参加をお待ちしています。
2006年4月29日 心配していた天気もよく、のべ約100名の参加で盛大に登山会が開催されました。津山朝日・山陽・テレビ津山のマスコミ各社も参加され、心地よい汗を流されました。今回は、一昨年の台風で登山道が破壊されやむなく昨年は中止した経緯もあって登山会開催の成功は感慨ひとしおでした。また、岩屋城から杖の差し入れと会長以下3名の参加もあり、挨拶も盛り上がりました。本丸跡の茶席では、抹茶が振る舞われすばらしい眺めと一服のお茶に身も心もうち解けたのでした。
2006年7月 約10日間続いた長雨で吉見地区はあちこちが崩落し
甚大な被害を受けました。医王山城にあがる登山道も土砂が崩落し、現在全く登れない状況です。また、三の丸東斜面も広い面積にわたって崩れ、復旧の見込みも立っていません。
2006年12月3日 約美作の中世山城連絡協議会による「美作の中世山城講演会とシンポジウム」がグリーンヒルズ津山で開催されました。医王山城も展示をし、またシンポジウムにも参加をしました。
2007年3月18日 写真のように登山道が崩落しており、1年かけて修理補修しなければならないということで、今年の医王山登山は中止となりました。残念ですが、来年に向けて整備を進めていきたいと思います。ご理解下さい。
2008年1月1日 通行不能だった登山道の復旧工事のめどがたち、2008年3月までには登山道整備を終了し、2年ぶりに4月には医王山城登山会を開催したいと思います。ご期待ください。

2008年3月20日 青壮年を中心とした保存会のメンバーで、登山道整備をし4月医王山登山会にむけて準備に入りました。約20名で登山道の草刈り、補修、さらに本丸跡の草刈り整備をしました。
2008年4月19日 登山10日前にさらに本丸跡を仕上げ整備し、遠くからでも見えるように陣旗を立てました。

☆2008年度第12回「医王山城登山会」
           
・日時  4月29日(火)昭和の日  午前10時〜12時
           ・集合場所 登山道入り口 岩尾寺駐車場集合
           ・催し物   こいのぼりをあげよう!
                   医王山城合戦物語
                   のろしをあげよう!
                   宝探し(子ども)
                   茶席にて献茶サービス

2008年4月29日 登山は約100人の登山客でにぎわい、またテレビ津山・津山朝日新聞・山陽新聞も取材に来られ、後日大きく報じられました。(右記事)遠く美咲町、また米子市からもご夫婦で来られるなど、多彩な人たちで登山会は友好と親睦のうちに、盛会で幕を閉じました。参加された方、ありがとうございました。後日集合写真をご自宅までお送りしますのでいましばらくお待ち下さい。           
2009年1月29日 医王山城には、まだ案内板がないのですが、この度ライオンズクラブより寄贈のお話があり、現在案内板の原稿案を考えています。また、今年の医王山登山会は是非とも二の丸、三の丸まで行けるよう整備をしたいと考えています。
2009年3月1日 役員会が開かれ、登山道整備と二の丸・三の丸への通路工事を行うことになりました。地元青壮年を中心に丸一日かけて整備する予定です。期日は3月29日(日)です。ボランティアも大歓迎です。
2009年3月29日 保存会24名で登山道整備を行いました。2004年の台風被害から二の丸・三の丸への通路が倒木のため遮断していましたが、この度本来の北側通路を確保し五年ぶりに開通しました。作業は大変でしたが多くのメンバーで一日かけ終了しました。
さらに、津山やよいライオンズクラブ寄贈による案内看板を設置することになっています。29日の登山会当日に贈呈式(除幕式)を執り行う予定です。

   2009年度第13回医王山城登山会
   ☆日時  2009年4月29日(水)10:00〜12:00
   ☆集合  登山道入口(岩尾寺駐車場)
   ☆催し物   こいのぼりをあげよう!
            医王山城合戦物語
            のろしをあげよう!
            宝探し(子ども)
            茶席にて献茶(冷抹茶)
   ※皆様どうかご参加ください。

2009年4月29日 雲一つ無い晴天に恵まれて、医王山城登山会は今年も盛大に開催されました。参加者も最多の約150名でした。はじめに津山やよいライオンズクラブ様より津山市に医王山城の案内看板の贈呈式があり、藤田教育長が目録を渡されました。その後全員で登山し本丸到着、各種のイベントのあと記念撮影・昼食と続きました。今年は津山市加茂町公民館山城に登る会二十数名も参加され、合戦物語や三の丸での説明に熱心に耳を傾けられていました。また、茶席では姫二人による冷抹茶のもてなしがあり、用意した茶菓子がなくなるほどの盛況で、山頂での一服に身も心も和んだのでした。
2009年11月14日 いよいよ来週になりました。医王山城登山会に多くの皆様の参加をお待ちしております。申込み、問い合わせは国文祭推進室0868−32−2121まで。もちろん当日の参加もOKです。参加無料。
 
「家族で登ろう!医王山城探険」 (第14回)
   
☆日時  2009年11月22日(日)10:00〜13:00
   ☆集合  登山道入口(岩尾寺駐車場)
   ☆催し物 医王山城合戦物語 ○×クイズ 茶席にて献茶(抹茶)
2009年11月22日 約120人の参加で盛大に開催されました。(詳しくは協議会のページをご覧下さい)
2010年4月18日 今年も4月29日の医王山城登山会にあわせ、町内で登山道の草刈り整備をおこないました。20人の青壮年、お年寄りが参加、午前中で作業を終えました。風倒木以来、見ることのできなかった三の丸の南の大堀切が見えるように道の整備をしました。
5年ぶりに整備が完了しました。

  2010年度第15回医王山城登山会
   ☆日時  2010年4月29日(水)10:00〜12:00
   ☆集合  登山道入口(岩尾寺駐車場) 午前10時
   ☆催し物   こいのぼりをあげよう!
            医王山城合戦物語
            のろしをあげよう!
            宝探し(子ども)
            茶席にて献茶(冷抹茶)
            記念撮影(後日集合写真を自宅にお送りします)
   ※皆様どうかご参加ください。
2010年4月20日 市民ラジオ「エフエムつやま」にて、医王山城の紹介を生番組でしますので、よろしければ聴いてください。
    4月24日(土)9:00頃〜9:40頃です。周波数78.0メガヘルツです。
2010年4月29日 快晴のもと、第15回医王山城登山会が開かれました。約100人の人たちが本丸からの眺めを満喫し、一服の冷抹茶に心を癒したのでした。山陽新聞、津山朝日新聞の記者も取材に来られ、後日大きく写真付きで報道されました。その後も5月8日には河辺公民館から約50名、15日にも津山市立博物館の史跡巡りの一行が登山されることになっています。新しくできたパンフと同行説明をします。、
2010年5月8日 快晴。河辺地区から40名の登山客がありました。皆さん熱心に説明を聞いて下さり、また大堀切りの見学もされました。いろいろな史跡を順に見学されているとのことでした。
2010年5月15日 今度は津山市博物館主催の「史跡見学会」の団体約30名が医王山を訪れました。高齢の方が多かったのですが、みなさんとても元気。「山城は皆を元気にするのです」津山市堀坂の江戸時代に造られた暗渠(トンネル水路)も見学されました。
2010年10月24日 今回の国文祭のパンフレットに医王山城の登山写真が掲載されたため、登山者に備えて保存会で草苅整備をしました。本丸跡には陣旗も立てています。登山される方はふもとの岩尾寺にパンフレットがありますので、どうぞ訪ねてください。
2011年4月6日 今年も4月が来て、医王山城登山会の準備が始まりました。17日に草刈など登山道整備を予定しています。そして、29日には、第16回の医王山登山会が開催されます。
   ☆日時  2011年4月29日(水)10:00〜12:00
   ☆集合  登山道入口(岩尾寺駐車場) 午前10時
   ☆催し物   こいのぼりをあげよう!
            医王山城合戦物語
            のろしをあげよう!
            宝探し(子ども)
            茶席にて献茶(冷抹茶)
            記念撮影(後日集合写真を自宅にお送りします)

  みなさんご参加ありがとうございました。晴天に恵まれ良い登山会になりました。
2011年5月3日 
約100名の参加で盛大に登山会が開催され、様々なイベントを楽しんでいただきました。
2011年11月27
 医王山城に広島県福山市から、約40名の登山客がありました。天正期、福山出身の福田氏が枡形城(鏡野町)とともに、医王山城に在番していました。その縁で今回訪れたとのことでした。福山市の備陽歴史探訪会は、会員も多く歴史もあり持参された会報もすばらしい物でした。
012年4月15医王山城保存会の手により、登山道の草刈り整備をしました。20名以上の青壮年の参加で29日の登山会に向け準備を整えました。本丸跡、三の丸跡には陣旗がはためいています。そして29日には、第17回の医王山登山会が開催されます。
   ☆日時  2012年4月29日(日)10:00〜12:00
   ☆集合  登山道入口(岩尾寺駐車場) 午前10時
   ☆催し物   こいのぼりをあげよう!
            医王山城合戦物語
            のろしをあげよう!
            宝探し(子ども)
            茶席にて献茶(冷抹茶)
            記念撮影(後日集合写真を自宅にお送りします)

   ☆雨天順延 4月30日(月)に実施
   みなさんの参加をお待ちしております。 
2012年4月29医王山城登山会が晴天のもと約80名の参加で開催されました。本丸跡では上記のような催し物がなされ、景色の良い眺めと一服の冷抹茶に疲れもほっと一息、皆さん思い思いのゆったりと時間を過ごしておられました。食事後の三の丸南の大堀切り見学では感心されてました

2012年11月19医王山城登山会が行われます。(詳しくは、美作の中世山城連絡協議会のhpを)
2012年11月25医王山城登山会が晴天の中行われました。@コースは終点医王山城をめざす5つの山城をめぐり医王山城で合流。Aコースは@と本丸跡で合流し医王山城の本丸でともに戦国合戦物語や茶席を楽しむコースでした。@には子ども一人を含め21人もの参加がありました。みなさん、秋の一日を楽しまれました。
2013年3月24日 医王山城への登山会が予定されています。これは、朝日カルチャーセンターの企画で、大阪よりバス2台で来津の予定です。歓迎です。
2013年12月2 快晴のもと津山市協働事業「山城の祭典」第2部医王山城を支援する砦群の登山会が行われました。詳しくはトップページから「美作の中世山城連絡協議会」のページに移動してご覧下さい。
2014年3月22日 今年も恒例の医王山城登山会を計画しています。是非お越しください。
     ←変更になりました!
2014年5月5日 あいにくの雨で登山会は中止になりました。今年は残念です。
2015年4月29日 医王山城は2年ぶりに登山者を迎え、賑わいました。
2016年4月29日 医王山城は今年も多くの方の登山でにぎわいました。
2016年11月18日 美作の中世山城連絡協議会主催の登山会で、医王山城と津山城をめぐる登山会に参加を募集しています。萩原さちこ氏も参加されます。
2016年11月28日
 萩原さちこさんの参加のもと、医王山城登山会が開かれました。県内各地から20数名の参加者が集まり、よい会となりました。萩原さんも随所で遺構の説明を加えてくださり、とても説得力と雰囲気のよい会となりました。
2017年1月1日 晴天のお正月。医王山城からの初日の出です。(写真)
2017年4月12日 2017年医王山城登山会  2017年4月29日(土) 10時 問合せ090-9418-7150長瀧
   ☆日時  2017年4月29日(土)10:00〜12:30
   ☆集合  登山道入口(岩尾寺駐車場) 午前10時
   ☆催し物   こいのぼりをあげよう!
            医王山城合戦物語
            のろしをあげよう!
            宝探し(子ども)
            茶席にて献茶(冷抹茶)
            記念撮影(後日集合写真を自宅にお送りします)

2017年4月29日 晴天のもと、登山会が約70名の参加で開催されました。これだけたくさんの方が登られたのは久しぶりです。みなさん、催し物を楽しまれ、食事。その後は、医王山城自慢の大堀切・畝状連続竪堀を見学しました。
2017年7月30日 高野公民館の三世代交流事業で、約40名の皆さんが、医王山城に来られました。小学生から80代までの方で、夏の暑い中登山していただきました。本丸跡では、遺構や医王山城合戦の話をさせて頂きました。公民館長さんがとても熱心な方で、中学生のボランティア3名も参加でした。美馬様お疲れ様でした。
2018年4月29日 晴天の下「医王山城登山会」が約50名の参加で開催されました。遠く島根県からの参加者もありました。いつものように、宝探し(子ども)、狼煙あげ、鯉のぼりの設置、医王山城合戦物語などのイベントを行いました。参加者の皆さん、ありがとうございました。

直線上に配置
2017.4.49登山会
2016.11.27萩原さん
2016.11.27萩原さん
2015.4.29登山会
2002.3.24 中世山城サミット
2017 初日の出
2002年4月登山会
2003年7/26の烏が仙城跡にて
3世代交流で医王山城へ
堀坂砦 遺構の説明(山形さん)
復旧工事
2008.3.20登山道整備
2008.5.2 山陽新聞記事
2009.3.29 二の丸への通路整備
贈呈された看板
本丸跡での風景
茶席で冷抹茶のもてなし
大堀切の底4bはあります
2010.4.29登山会の様子
2011.4.30津山朝日記事
本丸にて
2012.11.25登山会にて
2013.3.24登山会にて
2013.4.29城郭巡りコース
2013.4.29本丸跡茶席
02年登山山城上空に凧が舞いました
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直線上に配置
整備作業のようす
案内看板贈呈式
2008.4.19本丸跡整備
2008.4.29 茶席にて
医王山城登山会にて
2017.4.49登山会
2017 初日の出
2016.11.27登山会
04登山会。茶席で一服、なごみます
台風による倒木被害
復旧工事
2013.4.29記念撮影
2018.4.29登山会
2018.4.29登山会
2017.7.30登山会

中世山城 医王山城跡保存会

 冬の医王山城
崩落現場
お茶席にて一服