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読み物>>津山の植物・里山をのぞいてみよう 第2回 |
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第2回 万葉の植物・ネムノキ
飛鳥時代から奈良時代にかけて成立した万葉集には、およそ150種類の植物が歌われています。538年公式に仏教が伝来し、多くの詩経仏典が日本に入って来たとき、日本の文字文化はこのときから始まったと考えられています。このころの文字文化"古事記"そして"日本書紀"は漢文によって記述されており、記紀より少し遅れて日本語の文学として成立したのが、漢字を日本語に当てた万葉仮名の使用であって、万葉集の歌の記録の始まりは、文字の渡来から僅かに百年ちょっと経過していただけと考えられるのです。万葉に歌われた植物の名前の大半は、今日もそのまま通用する植物名で記録されているのです。
6〜7月の花"ネムノキ"(合歓木)は古名を"ねぶ"と云って、万葉集には"合歓木"と現在でも使用している漢字名が当てられており、また昔から別名を"コウカ"(合歓)という名で呼ばれています。こうした名前は、大きな葉の特徴である睡眠活動、夜に小葉を合わせて眠るように見えるところから呼ばれるようになったと思われます。
"ねぶ"と云う古名は"眠る木"と云う意味の言葉として、さらに文字のない古い時代から云われていたのでありましょう。そして、"合歓"の漢字名は、新しく生まれた中国大陸との交流から伝えられ、万葉の編集をするにいたって、言語と文字の接合が計られたとしか考えられないのです。さらに"合歓"の音読が訛って"コウカ"と云う別名があると云うに至っては、こうした推測を更に確かなものにしています。
松尾芭蕉は"奥の細道"の象潟の旅で『象潟や雨に西施がねぶの花』と作句。象潟紀行が旧暦6月15日、現在の7月半ば。ネムノキは梅雨の花でもあるのです。
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ネムノキ (マメ科) |
ちなみに西施は越王勾践の再起に利用された傾国の美女。院庄の児島高徳伝承とも重なります。
万葉集巻の十 紀郎女が大伴家持に合歓木の花と共に贈った歌です。
花は夕方になると開き、雄しべの淡紅色の長い花糸を広げます。2回羽状複葉からなる大型の葉が夜は多数の小葉を閉じて眠ります。この生活を就眠活動と云います。
昔から川岸や山裾などに生育、平岩弓枝は時代小説の一節で『今頃の綾瀬川は、川岸に合歓木が生い茂り、日差しを遮るのと薄紅色の花が咲くので誠に風情がある』と江戸の夕涼みの情景を述べます。
この花は昔から川岸の花であり、都市や里山を彩る植物だったのですが、都市整備や河川護岸の改修でその生活環境が失われていきました。
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